監督:ウェイ=ダーション
出演:モーナ=ルダオ(壮年期)(リン=チンタイ)、タイモ=ワリス(マー=ジーシアン)、小島源治(安藤政信)、鎌田司令官(河原さぶ)、モーナ=ルダオ(青年期)(ダーチン)、花岡一郎(ダッキス=ノービン)(シュー=イーファン)、花岡二郎(ダッキス=ナウイ)(スー=ダー)、ほか
台湾、2013年
日本統治時代の台湾で起きた霧社事件(台湾先住民セデック族の反乱)を描いた大作。第一部と第二部で合わせて4時間超とは見る方も気合いを入れないとなりません。GYAO!で無料公開してたんで見てみましたが、どうして劇場行かなかったのだ俺… orz
日清戦争後に結ばれた下関条約で台湾は日本に割譲された。台湾の先住民セデック族は狩猟や首狩りをして暮らしていたが、日本進駐で日本軍と戦い、敗北、「文明的」な生活を強制される。それから30年、首狩りも入れ墨も禁じられたセデック族の頭目モーナ=ルダオは、警官への殴打事件をきっかけに民族の誇りを取り戻すためだけに、日本相手に絶望的な戦いに挑む決意をする。やがて反撃に転じた日本軍は、先進的な装備や戦闘機による毒ガスの散布などにより、セデック族を追い詰めていくのだった…。
「
蝦夷地別件」の逆パターンです。あちらではアイヌが生き延びるため、また武器が手に入らなかったために戦っても勝てないとわかっていて、ツキノエはアイヌの蜂起に参加せず、鎮圧する側に回ります。
こちらではモーナたちは生き延びることは願っておらず、ただ、セデックの誇りを取り戻したい、このままでは自分たちの子どもが入れ墨も入れられず、死んでも虹の橋を渡って祖先の家に迎えられることもないということから、負けるとわかっている戦いを率います。
わしは常々、生きている方に圧倒的に加担するんですが、ですから「蝦夷地別件」もいちばん好きなのはツキノエなんですが、その一方で全く相反する気持ちではありますが、誇りのために命を賭けるとか大好物だったりもします。まぁ、たいがいはフィクションに限られちゃいますが。
この映画ではモーナが圧倒的に好きです。
最初はセデック族の英雄、勇者として描かれ、対立するタイモ=ワリスとも一歩も引かぬ強者で、ところが日本軍の圧倒的な戦力の前に敗北させられ、父を殺され、頭目となったものの、以後、30年間も形ばかりの頭目として鬱々とした日々を過ごします。
しかし、モーナは密かに火薬を集め、再び戦うことを心に秘めていますが、表面上は牙を抜かれた虎そのもので、たまに狩猟に行って覇気を見せることはあるものの、ほとんどご隠居って過ごし方です。
でも、息子のタダオの結婚式で、そこに現れた警官が息子の勧める酒を断ったばかりか、「お前らは不潔だ」と言って殴打し、逆ギレした村人に返り討ちにあったのを、モーナが取りなしに行くと、けんもほろろに断られて、30年間積もりに積もった恨み辛みが噴出、ついに立ち上がることを決意するわけです。
もう、ここら辺が、ほんとに見ててツキノエまんまで、そのせいもあってモーナがいっとう好きだったりします。
しかし、蜂起はしても、勝てる見込みはありません。そんなことは30年前にわかっていることです。それでも、モーナは若者たちの顔に入れ墨がないために、入れ墨というのがそもそも一人前になった証しなので、入れ墨のない者は死んでも祖先の家に入れないとあっては、モーナの息子たちの世代(長男のタダオは入れ墨をしていますが、次男のバッサオはしていない)は全員そういう者ですから、モーナはそのことも嘆くわけです。
で、勝てないことはわかっている。でも、セデックの誇りを取り戻すため、真の人、セデック・バレ(とタイトルロール)になって、祖先の家に集うために、言ってみれば、若者たちを勇者にするためにモーナは蜂起することを決めるのでした。
ちなみに女性も入れ墨をしていて、これは織物ができるようになったら入れられるそうですが、これも禁止されてるので、若い女性は入れてません。アイヌの入れ墨を思い出しましたが(こういうところも「蝦夷地別件」を彷彿とさせるので)、耳と耳の間の頬なので、かなり範囲は広いです。
ですが、わしは、こういう映画を見る時はつくづく思い知らされるのですが、わしは日本人であってセデック族ではないわけです。わしは侵略した側の人間で、侵略された側ではない。だから、呑気に「モーナ、格好いい〜」とか言っちゃうのもどうかと思うわけですよ。
だから、見ていて、不謹慎だけれど、セデック族が次々に日本軍を倒していくのを見て、爽快感とか覚えつつ、実際のところは日本軍の死者は22名、警官が6名なんで、あんなに倒れるわけはないし、そこら辺はエンタテイメントも貫いんたんだなと思いつつ、いろいろと複雑な気持ちでした。
そして、女子どもを別の社(村に同義)に逃がそうとしたものの、女たちは自殺してしまい、そこがいちばんショッキングでした。
ただ、全然関係がないようですが、わしの中では「黒旗水滸伝」で難波大助がたった一人でヒロヒトの暗殺を試みたのは同志とか家族を持つことで、彼ら・彼女らが人質にされたりとか、そういうのを恐れた、というのを読んで、「セデック・バレ」での女性たちの行動は、勇者になって死のうとする男たちの行動を見事に後押ししているのだなぁと思いました。
セデック族の歌が合間合間に入って、素朴な感じがいいのですが、そこに別の音楽を重ねるのは止めてくれ。それだけ残念ですが、4時間超の長さにめげず、頑張って見てもらいたい傑作です。
たんぽこ通信 映画五十音リスト
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