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されど平穏な日々

日々のつぶやきと読んだ本と見た映像について気まぐれに語るブログ。Web拍手のメッセージへのレスもここ。「Gガンダム」と「ジャイアントロボ」への熱い語りはオタク度Maxにつき、取り扱い注意! 諸事情により、コメントは管理人が操作しないと反映されません。時々、サイトの更新情報など。

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巴里のアメリカ人

監督:ヴィンセント=ミネリ
製作:アーサー=フリード
出演:ジェリー=モーガン(ジーン=ケリー)、リズ(レスリー=キャロン)、アダム(オスカー=レヴァント)、アンリ(ジョルジュ=ゲタリ)、ミロ(ニナ=フォック)、ほか
音楽:ジョージ=ガーシュイン
アメリカ、1951年

たきがは大好きミュージカル・スター、ジーン=ケリー主演のラブコメ・ミュージカルです。ラストの「パリのアメリカ人」のナンバーに乗せて18分間の群舞が圧巻ですが、ジーン=ケリー主演ならば「雨に唄えば」のが圧倒的に好きかも。

パリに住む売れない画家のジェリー=モーガン。彼には同じく売れないピアニストのアダムという友人がいるが、アダムの友人の売れっ子歌手アンリと知り合う。そのまま、いつものようにモンマルトルの街角へ絵を売りに行ったジェリーは、大金持ちの令嬢ミロに絵を気に入られ、スポンサーを申し出られるが、ミロと食事に行ったその晩に、リズに一目惚れしてしまう。最初は気のなかったリズだったが、ジェリーの強引なアプローチと気さくな人柄につきあい始めるが、彼女には秘密があった…。

音楽が全てガーシュインのもので、話の筋立てはガーシュインの曲をいかに使うかで決められたように見えてしまい、おもしろいんですが、ミュージカル部分とストーリーがちょっと不自然です。まあ、主役が歌って踊れるジーン=ケリーなのに売れない絵描きというのが問題です。そこをいくと、「雨に唄えば」の方は主役も俳優なのでサイレントからトーキーに移り変わるハリウッドという主題にもぴったりマッチしてて良かったのでした。画家よりもダンサーやれよという辺りが。

最後はジェリーとリズが結ばれてめでたしめでたしだったんですけど、スポンサーのミロはジェリーからアダムに鞍替えしたそうなので、画家としてはお先真っ暗感が漂わなくもない。

本編を見てから特典映像を見たら、出演者や製作者によるオーディオコメンタリーがついてまして、これが本編を全部おさらいするという豪華さで、二度見してしまいました。さらに短編も2本ついているというお得感。メニューも特典映像もキャストやスタッフのプロフィールもないソニーには見習ってもらいたいですわ。

たんぽこ通信 映画五十音リスト

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戦場にかける橋

監督:デヴィッド=リーン
出演:シアーズ中佐(ウィリアム=ホールデン)、ニコルソン大佐(アレック=ギネス)、ウォーデン少佐(ジャック=ホーキンス)、軍医(ジェームズ=ドナルド)、ジョイス(ジェフリー=ホーン)、斉藤大佐(早川雪洲)、ほか
アメリカ、1957年

見たことがなかったので借りてきました。日本軍お馬鹿映画かと思っていたら、主役のニコルソン大佐もいい勝負のお馬鹿っぷりでした。

クワイ河沿いの日本軍捕虜収容所にシンガポールの戦いで降伏したイギリス軍が連れてこられた。収容所の所長・斉藤は捕虜たちにクワイ河にかける橋を建設させており、イギリス軍捕虜の隊長ニコルソンは斉藤に協力を申し出るが、斉藤がジュネーブ条約に違反して将校にも肉体労働を強いようとしたため反発、ニコルソン以下将校は営倉に閉じ込められてしまう。兵士たちのサボタージュもあって、橋の建設はなかなか進まず、収容所でただ一人のアメリカ海軍のシアーズ中佐は脱走を企てる。シアーズが原住民の部落に助けられ、イギリス軍の助けで療養していた頃、斉藤はニコルソンの言い分を認め、将校に肉体労働をさせないことにする。ニコルソンはインドで橋を建設したことがあるという部下を筆頭に日本軍に全面的に協力し、橋の建設は順調に進んでいくが、脱走したシアーズは、イギリス軍のウォーデン少佐率いる決死隊に転籍させられ、当の橋を爆破する任務につけられていた…。

ニコルソン大佐をお馬鹿呼ばわりするのは、途中から全面的に日本軍に協力して立派な橋を造るのまでは良かったんですが、最後、その橋を爆破しに来た友軍を迎撃しちゃうという展開が何だかな〜だったからです。

日本軍のお馬鹿っぷりは、捕虜収容所の所長室が和室っぽくあしらえられているのもあり得なければ、所長が和服なのも変で、まぁ、1950年代のハリウッドっぽく、全般変でした。

テーマ曲の「クワイ河マーチ」が妙に脳天気に明るくて、ほぼ全員が死んじゃうラストでエンディングにかかると、またシュール…

たんぽこ通信 映画五十音リスト

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ヨーロッパ1951年

監督:ロベルト=ロッセリーニ
出演:イレーネ(イングリッド=バーグマン)、ジョルジュ(アレクサンダー=ノックス)、アンドレア(エットレ=ジャンニーニ)、ジュリエッタ(ジュリエッタ=マシーナ)、ほか
イタリア、1952年

2015年最後の鑑賞になりました。見たことがないバーグマン出演作だったので中身とか確認せずに借りてきたので、落としどころがどこだかわからなかったのですが、終盤で納得。

ローマに住むイレーネとジョルジュには一人息子ミシェルがいたが、幼少時代をロンドンで空襲に遭ったため、神経質な少年に育ってしまい、軍隊にいたジョルジュは息子のことを理解できないでいた。イレーネの伯母が訪れたパーティで、ミシェルを邪険に扱ったイレーネは、ミシェルの飛び降りの狂言からミシェルを失ってしまう。自分が息子に向けた言葉を深く悔いるイレーネは、従兄の新聞記者アンドレアに紹介されて、貧しい人びとへの奉仕にのめり込んでいく。しかし、その深い隣人愛は夫ジョルジュの理解されないところとなり、やがてイレーネは精神病院に入れられてしまう…。

最初は家族物かと思ったら、息子のミシェルは早々に死亡、ショックを受けたバーグマンは母親がアメリカから会いに来たにもかかわらず、部屋に閉じ籠もってしまいます。
その後、以前から夫には「シンパだ」と言われる従兄のアンドレアと連絡を取り合い、同じように子どもを失いそうになって嘆く貧しい家族を援助することで脇目も振らずに隣人愛に目覚めるわけです。

」の三年前のジュリエッタ=マシーナが子ども好きなんだけど、あんまり働く気のなさそうな、でも、どうして六人もの子ども養ってんだ!って母親役を好演。

イングリッド=バーグマンは、「ガス燈」でもそうなんですが、思い込みの激しい奥様を熱演、キャストやスタッフのプロフィールを見てたら、バーグマンはロベルト=ロッセリーニとの関係が噂されてハリウッドから干された後だそうで、ロッセリーニ監督は途中まで「道」の監督と勘違いしていたら、「道」はフェデリコ=フェリーニ監督でした。で、見たことないですが「無防備都市」の監督だそうです。
相変わらず美人です。

ハリウッド映画だと、聖女よろしく目覚めちゃったイレーネが夫の理解も得られてめでたしめでたしで終わりそうですが、イタリア映画なもんで、そういう甘々な展開にならず、イレーネは精神病院に入れられて、本人も出る気なくて、「私にはここでやれることがあります」とか言って、ジュリエッタたちに「あの方は聖者だよ」とか言われて終わりでした。

年の瀬に渋い映画見たわい。

たんぽこ通信 映画五十音リスト

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満月

金石範著。講談社刊。

引き続き金石範さんの済州島四・三事件をテーマにした小説です。ほんとはドキュメンタリーが読みたいのですが、茅ヶ崎の図書館は資料が貧弱なので、検索かけて引っかかった本を片っ端から読むという乱読です。

火山島」より50年後、大阪に住む済州島出身のムン=ソンギュを主人公にした済州島四・三事件を扱った小説ですが、前作とは趣を異にしており、幻想的な話です。

済州島四・三事件で母を殺され、祖母に育てられたムン=ソンギュは18歳の時に日本に密航して、それからずっと同郷の人びとが多く住む大阪で暮らしている。母が殺された時は赤ん坊だったソンギュには母の記憶も、その時の光景も覚えがないはずだが、祖母から教わったのか誰かに聞いたのか母が殺されて海に落ちた後、赤ん坊の自分を囲んで話す大人たちの言葉が忘れられないでいたが…。

50年前の事件を回顧する話かというとそうでもなく、最後まで落としどころが読めませんでした。
最後まで読み終わって、読み終わってから思い出して、考えて、やっと、これはあの事件で殺されたたくさんの人びと、家族や親戚を殺された生き残った人びとの恨みを慰める鎮魂歌なのだろうと思いました。

家から共産主義者(と決め付けられた)を出しただけで家族にまで責任が問われ、虐殺された済州島四・三事件は、韓国では長い間、忘れられた事件でした。島中を反共の嵐が覆い、誰もが一人や二人は殺された親戚がいるという事件について話せるようになったのは民主化の後だったと言います。
わしは常日頃から、お墓も葬式も生きている人間のためのものだと思っています。ですが、日本よりもずっと祖先との繋がりを大事にして、そのために生きていると言っても過言ではない朝鮮の人びとにとって、祖先を祀るということはただの空念仏ではなくて、墓の中に祖先の遺骸がなくては魂の拠り所がないのだと作中に書いてありました。
何年か前に流行った「千の風になって」というのは朝鮮では成り立たないのだなと。あれは、大元はネイティブアメリカンだそうですが、あの感覚は朝鮮の人びとには受け入れられないのだろうなと。
けれど今作の主人公ムン=ソンギュのお母さんは殺されたところは正房瀑布という海に注ぎ込む滝の上でなのですが、遺体は見つかっていないのです。

物語はクッという巫儀を行ったところ、ムンの馴染みのママに母が憑いたところで終わりますが、語られるのを待っている済州島の物語は、まだまだありそうです。

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オルフェウスの窓

池田理代子著。集英社文庫刊。全9巻。

「ベルサイユのばら」で有名な池田理代子さんの歴史大河ロマン。ボリューム的には「ベルばら」の倍近くあり、第一次世界大戦、二度のロシア革命やドレフュス事件といった実在の事件に加えて、ギリシア神話のオルフェウスに材を取った悲恋、男装の麗人、学園物、音楽と多彩な内容に改めて著者の才能をまざまざと見せつけられた感じでした。寝る前に1巻だけ読もうと思って手に取ったのが大間違いで、そのまま漫画読み続けて夜更かし(朝ちゅん)というのを20年ぶりくらいにやってしまいましたよ。

池田理代子恐ろしい子 (((((((( ;゚Д゚)))))))

「ベルばら」に比べると個々のキャラクターのヒロイック性はだいぶ薄れていましたが、その分、少女漫画要素たっぷりのリアリティで、なにしろページを繰る手を止められません。
ヒロイン・ユリウスを次々に襲う試練、イザークの持つ音楽の圧倒的な才能と試練、クラウスの隠された過去と使命、そこにユリウスの異母姉マリア・バルバラとアネロッテ、ユリウスの両親、イザークの妹フリデリーケ、イザークのライバル・モーリッツ、クラウスの恋人アルラウネ、ユリウスやイザークの先輩ダーヴィト、学校の先生ヴィルクリヒといった多種多層な登場人物が次々にからみ、愛憎を交わし、友情を育み、すれ違い、出逢い、出会い、これでもかと詰め込まれたドラマはめまいがするほどに豪華絢爛な絵巻でした。

「ベルばら」と違って、第1部〜第4部と章立てが分かれているので、第2部のイザークが主役の話ではどっぷり音楽、第3部のクラウスが主役の話では、その生い立ちとロシア革命にかける情熱なども明かされて、第1部のラストでクラウスを追ってロシアに発つユリウスのドラマが複層的にからんで、記憶喪失という使い古されたネタもまた少女漫画性に拍車をかけまくって、ここで新たに登場したキャラクターたちが第1部第2部に負けず劣らぬ魅力を放っており、いやいや、何度も言いますけど、池田理代子恐るべしです。

大河ドラマならではの素晴らしさは、何といっても登場人物たちを使い捨てにしないところ。イザークのライバルのモーリッツは、イザークの妹のフリデリーケに横恋慕して、間接的に彼女を殺す羽目になってしまいますが、逆にそれで人間ができて、ユリウスの長姉マリア・バルバラといい事業の連携を取ることができたり、それでもウィーンに来て、フリデリーケそっくりのイザークの教え子と過ちを犯しそうかけても、奥さんに止められてやり直したり、ユリウスやイザークの先輩ダーヴィトが第4部でマリア・バルバラといい仲になったりというその後をちゃんと描いてくれたのも、イザークに思いを寄せる酒場の少女が最終的には妻にまでなるのに子どもを産んで死んじゃう辺りも、まさに大河ロマンです(←「戦争と人間」をまだ根に持っている)。

わし的にはピアノを教わったヴィルクリヒ先生をずっと慕っていて、突然現れた異母妹ユリウスを憎んでいたものの、召使いのゲルトルートの扱いからけっこう早くにいい人になったマリア・バルバラが好きでした。あとクラウスの恋人を装っていたけど、本当は兄ドミートリィの恋人だったアルラウネとかも。

間違いなく傑作です。

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