監督:パトリシオ=グスマン
見たところ:川崎市アートセンター・アルテリオ・シネマ
フランス、チリ、スペイン、2015年
「
光のノスタルジア」の続編です。南北に4200kmの長い海岸線を持つチリ。「光のノスタルジア」では北部のアタカマ砂漠が主な舞台でしたが、今作では南部のパタゴニアと呼ばれる群島が舞台となります。イメージは水です。
アタカマ砂漠で発見された水晶の原石の中に閉じ込められた水から、イメージは奔放に広がり、宇宙へ。水蒸気や氷といった形で存在する宇宙の水の話から、また地球に戻り、水に生きたインディオたち、チリ南部のパタゴニアに生きていた水の原住民たちの話に移ります。さらにただ一人、歴史に名を残したというインディオ、ジェミー・ボタンの話は、白人たちの興味本位や欲により、全てを奪われていくインディオたちの話から、同じように命を奪われたたった30年前の出来事、ピノチェト政権の弾圧へと移っていきます。前作「光のノスタルジア」では砂漠にうち捨てられた人びとの話でしたが、自らの犯罪を隠そうとしたピノチェト政権は、犠牲者たちを海に捨てたともいうのです。その遺体が二度と浮かび上がってこないようにワイヤーでレールを縛りつけ、海に放り出したという話は、海の底から引き上げられた錆び付いたレールについていたボタンによって、真珠のボタンで白人に買われたジェミー・ボタンの話と繋がることで、チリの人びとが同じように目を背けてはいけないこととして提示されていくのです。
先にこちらを観たせいか、こちらの方が好きです。ただ、全部通して観ると、「光のノスタルジア」の砂漠から「真珠のボタン」の海へとイメージは繋がっており、やはり2作通して観るのがお薦めです。
何といっても過去の忌まわしい出来事から目を背けないという監督の姿勢がとてもいいです。それは19世紀のインディオたちへの虐待であり、20世紀のピノチェト政権の弾圧であり、最後の方で語られる「
誰しも歴史から無辜であることはできない。観客である私たちも例外ではない」という言葉とともに、日本人であるわしらにも跳ね返ってくるわけです。
一見、わしらには無関係なようなチリの映画を観た時、それが無関係なものではないどころか、まるきり自分たちの国の姿を写しているとわかる。声高に責めるのではなく、そうと気づかせる。傑作ドキュメンタリー映画だと思いました。
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