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されど平穏な日々

日々のつぶやきと読んだ本と見た映像について気まぐれに語るブログ。Web拍手のメッセージへのレスもここ。「Gガンダム」と「ジャイアントロボ」への熱い語りはオタク度Maxにつき、取り扱い注意! 諸事情により、コメントは管理人が操作しないと反映されません。時々、サイトの更新情報など。

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地雷を踏んだらサヨウナラ

製作:チーム・オクヤマ
監督:五十嵐匠
出演:一ノ瀬泰造(浅野忠信)、ロックルー(ソン=ダラカチャン)、ティム(ロバート=スレイター)、マダム(ペン=ファン)、レ=ファン(ボ=ソンフン)、泰造の父(川津祐介)、泰造の母(市毛良枝)、ほか
音楽:安川午朗
日本、1999年

たまにはGYAO!で映画でも見るかと思ってサイトに行ったら、この映画がかかってまして、うはうはと視聴してきました。

アンコールワットを撮影に向かった途中でクメール・ルージュに殺された写真家・一ノ瀬泰造氏の同タイトルの書簡をもとにした映画です。

何度か映画館で見たり、テレビでかかったの見たりしてるんですが、何年かぶりだったので細かいところを忘れていて、感動も新たに蘇りました。
やっぱりテーマ曲がすごく好きで、サントラかけるだけでこの感動が蘇ったりしてしまうんですが、それはテーマ曲のアレンジが秀逸だからです。ソッタやチャンナの死では悲しく、オープニングやエンディングでは勇壮に、また時に軽くかかっているので、まるで泰造自身の心を表しているかのようで、そこがいいのです。

さらに一ノ瀬泰造氏の写真展を武雄まで見に行ったことがありましたが、写真も使われていて、その優しい眼差しも好きです。

ロックルーがいい人通り越してお人好しっぽかったのに、結婚相手はちゃんと好きな人を選ぶしっかり者なところとか、でもラストで殺されちゃったことがわかるとか、でもでも奥さんは無事だとか、懐かしいカンボジアの風景が、わしが観光旅行に行った時とほとんど変わってなくて(シェム・リアップ空港から町に向かう道路の周辺はほとんどまんま。アンコールワット周辺はさすがに整備されてます)、そこら辺も懐かしくて、愛おしくて、大好きです。

両親を失って、泰造に懐いていたソッタとチャンナの兄弟が、クメール・ルージュの砲撃で命を落としてしまうシーンは切なかったですよ。

たんぽこ通信 映画五十音リスト

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黄色い本

高野文子著。アフタヌーンKCデラックス。講談社刊。

「黄色い本」「CLOUDY WEDNESDAY」「マヨネーズ」「二の二の六」を収録した短編集。

表題にもなっている「黄色い本」には「ジャック・チボーという名の友人」と副題がついています。
田家実地子(たい みちこ)という名の女子高生が、「チボー家の人々」を読む過程を日常の営みや家族との関わりを描きながら綴った連作短編です。

たきがは、不勉強なので「チボー家の人々」を読んだことがありません。そうでなくても読みたい本がまだまだ溜まっている昨今、第一次世界大戦前後のフランスのブルジョア階級の思考とかはなかなか手が出そうにありません。せめて「太白山脈」読んでからにしたい…。

実地子さんが読書しながら、副題にあるようにジャック・チボーや登場人物たちと革命について話し合ったり、ラスト、彼らに就職を報告したりするような読書というのはいいなぁと思いましたが、何より、労働者っぽいお父さんが、実地子さんに「その本買うか? 好きな本を一生持ってるのもいいもんだと俺は思うがな」と言うシーンが好きです。小説に限らず、本との幸せな出会いとはかくありたいものです。
実地子さんと「チボー家の人々」ほどではありませんが、どれか小説を1作と言われたら、わしは「指輪物語」にするだろうと思います。あの世界に入り込んでフロドやサムと一緒に中つ国を歩いて、終わりが近づいてしまうのがわかって、もったいなくてもったいなくてしょうがないけれど、また読む時のためにラスト、サムの「いま、帰っただよ」という台詞を噛みしめる幸せは、他の小説ではなかなか味わえません。

あと「自分の好きな人を大切にするということはそれ以外の人には冷たくすることになるんでねぇの」とか、独特の切り込み方が高野節といいましょうか。

「マヨネーズ」という話が会社の先輩(ぽい)男性と落ちで結婚したOLの話で、「二の二の六」という話が婚期を逃しちゃったっぽいヘルパーの女性が、また婚期を逃す話という対比もおもしろいなぁと思いました。

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慕情

監督:ヘンリー=キング
出演:ハン=スーイン(ジェニファー=ジョーンズ)、マーク=エリオット(ウィリアム=ホールデン)、ほか
見たところ:シネプレックス平塚
アメリカ、1955年

先週に引き続き「新・午前十時の映画祭」です。一回ビデオで見たことがあって、わしは恋愛物には基本、興味を持たない人種なもんで、ただのメロドラマか〜という感想を抱き、音楽はいいと思いましたが、それ以上は忘れていたら、うちのおかんが観たいというので付き合って行ってきましたが、やっぱりメロドラマはメロドラマだというのが素直な感想です。テーマ曲が名曲と言われ、かなりヒットしたそうですが、ちょっとあちこちで使いすぎかも。

1949年香港。研修医をしている中英混血のハン=スーインは上司に気晴らしで連れていかれたパーティでアメリカから派遣された新聞記者のマーク=エリオットと知り合い、彼に惹かれるようになっていく。シンガポールに妻がいるマークだったが、その仲はとうに冷え切っており、彼もまた夫を中国の内戦で失ったというスーインに惹かれていく。中国の重慶に住む叔父にマークとの結婚を許してもらうスーインだったが、やがて朝鮮戦争が勃発し、マークも派遣されてしまう。しかもスーインは研修医の仕事を失い、友人の家に身を寄せていたが、マークの死を知らされる。マークとの思い出の丘に駆け上って激しく泣くスーインだった。

1949年10月1日に中華人民共和国が成立、重慶にスーインの親戚のような国民党派の人びとが生き残っているとは思えないのですが、出会ってからそれほど時間経ってなかったのか、「夜は寒い」とか言ってるわりに曖昧で、観てて気になりました。ほら、メロドラマだから突っ込みどころ満載。もしかしたら叔父一家も殺されたりしたのだろうか?

で、ラスト、スーインが駆け上がる思い出の丘というのは、そもそも病院の裏にありまして、研修医だったスーインは、病院の中に住んでたもので、たびたび、そこでマークと会えたわけだったんですが、ラストでは病院をくびになっちゃってますから、友だちの家に行ってます。ところがそこは作中でスーインが「湾の向こうにある」と言ってたけど、マークと二人で泳いでいけるほどの距離なので、直線距離ではそれほどないようなのですが、何度か丘の上から写された感じだと、海抜でいったら、ほぼ0mなのです。しかし、香港の地理というのは、海から山の方にせり上がっていく感じでして、病院も山の上、丘はもっと上、さらに山を越えたところが深圳地区で、そこはもう中国なのです。ということは、ラスト、マークを慕って思い出の丘まで駆け上がるスーインは、はるばるとあの坂道を登ってきた(ひたすら小走りでタクシーや路面電車を使うという描写はない)わけで、その辺りも描写されてるんですが、いくら香港が狭い町だと言ったって、海沿いから山の上まで上がるのに何十分かかったんだろう? それにしてはスーイン、息切れしたようでもなしという突っ込みが入りまして、ここでメイン・テーマがかかって、観客は涙を絞られるとか涙腺決壊という事態に陥るはずが、スーインさんたら足腰丈夫やわという全然別の観点から観ているという事態に。

あと、作中、2回目のデートを海辺で行い、一緒に友だちの家まで泳ぎに行ったスーインとマークでしたが、友だちの家で借りてたのがどう見てもスーインは浴衣、マークは甚平という日中混同ぷりも「ドノバン珊瑚礁」とか思い出して、しょせん、アメリカ人にとっちゃ中国というのはその程度の認識なんだなぁと思いましたよ。

たんぽこ通信 映画五十音リスト

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七色いんこ

手塚治虫著。少年チャンピオンコミックス刊。全7巻。

天才役者にして泥棒の七色いんこと、彼を追う羽目になった鳥アレルギーの敏腕刑事・千里万里子とのドタバタを、実際の演劇に乗せて送るピカレスク・ロマン。

素顔を見せず、本音を明かさず、金のためなら、どんな役でも引き受ける七色いんこのキャラクターが痛快です。そういう設定はちょっとブラック・ジャックを彷彿とさせますが、コメディ調が強いのと手塚先生の様々な演劇への憧れとか好きが全面的に描かれていて、問答無用にいんこが格好いいです。

対する千里万里子刑事は射撃の腕前もピカイチ、格闘にも優れる敏腕刑事でしたが、ただひとつ、鳥を見たり、においを嗅いだり、鳴き声を聞いただけでも蕁麻疹を起こしてしまい、幼女の姿になるという弱点があり、そのためにいんこを追い詰め損ねたり、助けられたりとでこぼこなコンビっぷりも愉快です。

途中から準レギュラーとして犬のくせに俳優の素質を持つ玉サブローが登場、最初のうちは煙たがっていたいんこでしたが、次第に飼い主としての自覚を示すようになっていきます。これが、犬ならではの失敗とか、犬なのに名優という性格、しかも酔いどれときて、アクセントを加えてくれます。

第1巻〜第7巻の第2話まで、ずっと実在の舞台(西洋の劇だったり歌舞伎だったり)をタイトルにして、七色いんこと千里刑事のどたばたが続いていた本作でしたが、第3話・終幕で、いんこの真の目的とその生い立ちを語り、この流れが思わずお見事!と手を打つあっぱれさ。

こりゃあ、久々の傑作でした。

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客人(ソンニム)

黄晳暎(ファン=ソギョン)著。鄭敬謨(チョン=ギョンモ)訳。岩波書店刊。

朝鮮戦争の最中にあった信川(シンチョン)での虐殺を背景に、実在のキリスト教の牧師の兄弟を主人公に据えて同族殺しを語る話といいましょうか。「満月」でも死者の言葉を巫儀(クッ)によって語らせるという儀式がありましたが、朝鮮の社会では生者と死者の境界が他の社会よりも低そうな感じがしました。日本にもイタコとかありますけど、ここまで死者は生者に近くないかなぁと。

アメリカに亡命した柳(ユ)ヨハネとヨセフの兄弟は親族を現在の朝鮮民主主義人民共和国・黄海道(ファンヘド)の信川に残していた。ある日、ヨハネを訪ねたヨセフは40年ぶりに故郷を訪ねることを兄に打ち明けるが、それから数日後、兄は急死してしまう。兄の遺骨を携えて平壌を訪れたヨセフは、アメリカにいた時からつきまとう亡霊とともに故郷に案内され、亡くなったと思っていた兄嫁や甥と再会する…。

というわけで亡霊の解説を受けながら故郷の村々を巡り、40年前の虐殺を知るヨセフでした。現実にはこういう形での和解というのはあり得ないわけでして、独特の文体なんですが、ある意味、お手軽だなぁとも感じてしまいました。人と人が100%わかり合えるはずがないというのは文学の永遠のテーマだと思うんですが、亡霊になったから恨みもなし、事情を話して、許し合って、一緒に成仏というのは、あるいはそうできないからこそ、そうなることを願って書かれた小説なのかもしれません。
現に共和国の人と付き合ったりするだけで韓国では有罪になってしまうので…。

タイトルの「客人」とは天然痘を指します。1000年ほど鎖国に近い形で続いてきた朝鮮という国に、西洋文明の波が押し寄せて、それは進んだ文明とともキリスト教や天然痘といったものももたらしたのでした。天然痘になすすべのなかった朝鮮の人びとは、助かってもあばた面という業病に対し、「客人」と呼び習わすことで早いお帰りを願ったそうです。
と同時に、ヨセフのもとを次々に訪れる亡霊たち、兄であったり、兄に殺された知り合いであったりと様々ですが、それらの人びとをも指しているのだろうと思いました。

岩波にしては誤字脱字が目立ったようなのが気になりました。

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