柳宗悦著。青空文庫刊。
僭越ながら柳宗悦というのがどういう人間かよー知らなかったので、青空文庫に入っていたのをダウンロードしてみました。
が、標題の随筆を読み始めたら、なんちゅうか、善意の押売りっていうか、どっかのしばき隊の仲良くしようぜと同じ臭いが漂ってきたので辟易して、別の短い随筆を読んだんですが、どれを読んでも、別に朝鮮がネタでなくても、上から目線で啓蒙してやるという態度がふんぷんのおっさんだったので全部読む気力が失せまして、しょうがないから突っ込むためだけに標題のを完読したのでした。やっぱり辟易しながら。
うちのあいぽんちゃんで32ページと短い文章でしたが、まぁ、よくもここまで
地獄への道は善意で舗装されているを地でいくようなとか、まぁ、嫌らしい文章を書けるもんだな〜と逆に感心しました(鼻ほじりながら
以下、突っ込んだところ。
・二言目には愛だの恋しいだのと言って自分がいかに朝鮮を愛しているか強調する実際に日本も日本人もやっていることは真逆で空々しくしか読めません。むしろ、わしは「俺はおまえを愛してるからこんなことをするんだ!」とか言って子どもだの嫁だのを殴るDV親父を連想しました。
いや、柳宗悦が別に朝鮮の人に暴力を振るったと言ってんじゃないんですよ。でも、同じ人種がそういうことをしている脇で愛だの恋しいだの言われても、ねぇ? 君、暴力振るう人、僕、宥める人って役割しか見えません。
この随筆が発表されたのは1920年と、朝鮮が日本の植民地にされてから10年と経っております。そのあいだ、ひたすら搾取され、無理な近代化を推し進められた朝鮮に、もうちょっと言うことなくね?というか、「朝鮮の友に捧げる書」よりも「日本の朝鮮政策を押し止める書」を書くべきだったんじゃ?
一方の暴力を放置しておいて、自分の言うことだけ受け入れろとか都合が良すぎるんじゃありませんか?
と思ったのでUNICEFの募金にも近づきもしませんでした。イエメンのために金を集めるより、当のイエメンに暴力を振るっているサウジアラビア連合軍を止めるべきでは?と思ったからです。
・日本人は本当は朝鮮を愛しているのだから朝鮮人が暴力で応えてはいけないと諫めるは? その前年(1919年)に三・一独立運動で日本が朝鮮の独立運動を弾圧したのに? しかも言うに事欠いて「
日本が暴力に傲る事があるなら、いち早く日本の中から貴方がたへの味方が現れるであろう」って誰のこと? そんな奴、いませんでしたが。いても非国民の名の下に日本が潰しましたが。むしろ、朝鮮に対しては日本中がこぞって差別し、蔑視し、暴力を振るうことを躊躇いませんでしたが。
3年後の関東大震災を見なさいよ。一部の人はそりゃ助けたよ。でも、それ以上の人間が暴力を振るったのは帳消しにはできませんよ?
日本人が殺しに来てるのに朝鮮人が暴力で応えちゃいけないとか、平和呆けですか? 先に日本人を止めろよ。止める相手を間違ってんだろ。
・朝鮮の藝術(主に陶磁器)を絶賛するが解釈が一方的に過ぎる「朝鮮の藝術ほど、愛の訪れを待つ藝術はない」
「人情に憧れ、愛に活きたい心の藝術であった」
「永い間の酷い痛ましい朝鮮の歴史は、その藝術に人知れない淋しさや悲しみを含めた」
「日々目に触れるそれらの器具の淋しい姿は、必ずや貴方がたの心の友であったろう。互いに慰められつ慰めつ日々を送ったに違いない」
なんちゅうか、この解釈がきもい。なぜ、そうも勝手な解釈を押しつけて平気なのか。
今、「朝鮮史」を読んでるんです。で、歴代の王朝(新羅、高麗、李氏朝鮮)に共通していたのは陶磁器のような手工業は、国家で抱え込んだ奴隷に作らせていたと知ったんです。柳宗悦の解釈が如何に現実と乖離しているか、それだけでわかろうというものではないですか。それを「朝鮮に関してはほとんど何らの学識を持たない」とかぬかして、自らの不勉強を主張してどうするんですか。
でも、その愛だのに基づいた解釈も1番目の突っ込み要素に照らし合わせると納得するんです。ああ、DV男の「愛してる」ね、って。
しかもこの一方的で独善的な藝術語りがこの随筆の半分を占めています。柳宗悦にとって、本当に大事だったのは朝鮮の藝術であって、別に朝鮮そのものじゃなかったんだな〜と思います。
柳宗悦を褒めるような奴は信用がならないとわかりました。それだけが読んだ収穫っちゃ収穫。
[2回]