監督:溝口健二
原作:井原西鶴
出演:春(田中絹代)、勝之介(三船敏郎)、扇屋弥吉(宇野重吉)、笹屋嘉兵衛(進藤英太郎)、笹屋和佐(沢村貞子)、笹屋の番頭・文吉(大泉滉)、菱屋大三朗(加東大介)、春の父(菅井一郎)、春の母(松浦築枝)、ほか
見たところ:桜坂劇場
日本、1952年
溝口健二特集というか、優秀映画と称して溝口健二ばかり4本もかかるので、あんまり興味のない現代劇だけ省いて(さすがに4本連チャンはきついので)、3本連続で見られる日に見に行きました。
というわけで一本目がこちら。原作は井原西鶴の「好色一代女」なんですけど、監督の意向でか、「好色」の字を取っ替えちゃったもんですから、見事に男(主に父親)の都合と多少は自業自得な面もあるんですが、たぶんに同情の余地ありの主人公・お春の波瀾万丈の生涯を描いた一作になってます。ちなみに原作は読んだことないです。
で、主人公がすでに女優として名声を博していたであろう田中絹代なんですけど、あんまり貫禄がありすぎて、最初の方が違和感ばりばりで、そこのところがまずミスキャストだな〜としか思えませんでした。
いちばん最初は夜鷹にまで身を落とした主人公なんでいいんですけど、そこから回想シーンに入り、後はほぼ全編回想で、で、最初の相手が初々しい三船敏郎なんですが、封建時代に愛だの恋だの言っちゃったもんで、そこがケチの付け初めといいますか、まぁ、そのまま御所にいても幸せだったかどうかはわからないけど、少なくとも夜鷹にまで堕ちるこたぁなかったよなぁと思うと運命の悪戯というか、なんかもう無茶な展開でした。逆に突っ込みどころばかりでおもしろかったっちゃ、おもしろかったんですが。
で、1つ前の段落の
田中絹代ミスキャスト説ですが、初っぱなは御所に仕えている女房としかわからないんで年齢不詳なんですね。でも、不器用ながら恋文をよこす下っ端の侍・勝之介にほだされて駆け落ちしようとしたところが捕まって、御所に仕える身でありながら身分違いの恋に落ちるとは何事かと親子ともども御所を追放されてしまいます。で、勝之介は打ち首になり、お春に呪いのような遺言を残します。「真実の愛をつかんで幸せになれとかかんとか」という。そのせいで打ち首になってんのに、まだそんな寝言言ってるのか、この若造は、とわしは思いましたが、それに従いたいけど、親の言うことにゃ逆らえぬヒロインは、気が進まぬながら、松平家の正妻が病弱で子どもが産めず、このままではお家取りつぶしだというんで老臣が嫁探しに来たところ、お春に目をつけまして、嫁ぐことになり、無事に後継ぎを産みます。
まぁ、ここのやりとりが、親父の身勝手さもさることながら、松平家の殿の注文というのがまた無茶苦茶でして、このまま跡取りができなければお家断絶の一大事だってのに、目がどうの鼻がどうのと上から下まで細かく(実に細かく)注文をつけて、老臣をてんてこまいさせるわけです。もっとも、この場合、お春が合致したんですから問題はなかったのかもしれませんが、お家の一大事よりも自分の趣味が大事って殿様に、わしは素直に
こんな家、とっとと取りつぶされてしまえと思って見てました。我が儘言うにもほどがあるだろうと。
この時の年齢の条件に15〜18歳とありまして、どう見ても30過ぎの当が立った(失礼)としか思えぬ田中絹代がその年齢には見えなかったわけです、わしは。
だから、初々しい若い娘の演技してるつもりなんでしょうけど、どう見ても貫禄がにじみ出るんですよ。だって田中絹代なんだもん(もっと失礼)。世間知らずの、親に従うしか能のないような小娘にゃ見えなかったんですよ。
なもんで、今にも無理難題を言う父親に「親子の縁を切らしていただきます」とか言い出しかねない貫禄がある娘なんだけど、嫌よ嫌よいいながら、最後は親の言うとおりになる娘というのがむっちゃ無理があったのでした。いや〜、ここら辺だけでももっと若い女優にやらせりゃ良かったんに…
ところがお春さん、めでたく若殿のお腹様になったのに、用なしだっていうんでお暇を出されてしまいました。ひでぇ。もっとも、これには理由があり、殿様の寵愛もめでたく、正妻を放置していたのと、お春に入れ込みすぎて、殿様が体調を崩すという、夫婦揃ってどんだけ病弱なんだよ!なことになったので、お家来衆としてはお春を追い出すことにしたのでした。それでもひでぇ。
ところが、もっと酷いことに、大役を果たして実家に帰ったお春が、さらに出世するものと決め込んだ
馬鹿親父(後の展開を知ってるのでこう言いますが)、その時の給金を当て込んで多額の借金を抱え込んでおりました。思ったでしょ? 馬鹿だって思ったでしょ? で、借金の片にお春を島原(吉原じゃないところが溝口の個性か?)に売り飛ばす
馬鹿親父(大事なことは大きく)。
それから何年(たぶん)か経って、太夫にまで出世したお春。ところが越後からやってきたという成金親父に見受けられそうになったのに、ばらまいていたお金が偽金だったというんで、親父は捕まってしまいます。
また実家に帰ったお春(これだけ親に酷いことされていても、まだ実家に帰るしかないのがこの時代の女性の悲哀というか、もうしょうがないというか…)は、笹屋嘉兵衛の店で女中として働くことになりますが、ひょんなことでお春が島原で太夫として名を上げていたことがばれてしまい(加東大介さんのせいなんですが)、夫婦に冷たく当たられてしまい、また実家に帰ります。その前に猫にささやかな復讐を手伝わせるシーンは唯一、この映画のなかで痛快なところでしたが、後は全編、お春の数奇な生涯が悲痛って感じなのでした。
しかし、苦あれば楽あり、実家に帰ったお春を待っていたのは真面目さが取り柄の扇職人、弥吉のプロポーズでした。最初、笹屋の番頭の文吉が宇野重吉さんかなぁと思ってたんですが、キャラ的に似合わないと思って見ていたら弥吉が登場したので、やはりこちらでした。しかし、幸せは長く続かず、弥吉は物盗りに殺されてしまいます。佳人薄命とか思って見てたら、ほんとにそうでした ((((;゜Д゜))))))) まぁ、初っぱなで夜鷹なんで、弥吉が長生きしないのはわかりきってるんですけど、それにしても酷い。
絶望したお春は尼寺に駆け込み、尼になりたいと訴えますが、文吉との繋がりを断ち切れずにおり、笹屋嘉兵衛に足をつかまれて手込めにされてしまったことで、尼に絶交を言い渡されるのでした。酷い。
で、文吉と気が進まないながら駆け落ちしようとしたものの、文吉が笹屋の金を持ち逃げしていたことがばれて捕まってしまい、とうとう三味線を弾いて物乞いをするようになってしまうお春。
この時、自分が産んだ若殿の行列が見られるところで物乞いをして、そっと影から我が子の成長を見守るシーンが涙を誘いますが、物乞いではろくに食えなかったようで、夜鷹2人に拾われたことで、夜鷹の身分に身を落としたお春の現在が、ようやく冒頭に繋がるのでした。
ところがお春の人生、まだ終わりません。わしはここら辺で飽きてきてましたが(爆
五〇〇羅漢と思しき寺で、羅漢さんを見ながら男のことを思い出していたお春でしたが、それまでの無理がたたって倒れてしまいます。
そこへ、夫の言うことを聞くばかりでお春のためには役に立ったとはお世辞にも言いがたい(辛辣)母親がお春の行方を捜し当ててきまして、父親が亡くなったことを告げますが、「最後までおまえ(お春)のことを心配していた」とか言われても、
原因のいくつかはおまえだろ!と突っ込みたい気分でした、わしは。もっとも、お春がこれで「おとっつぁんも可哀想」とか言って涙ぐむんで、案外、島原に売られたことも、その前に松平家に身売り同然になったことも、嫌よ嫌よと言いながら、親父のことは恨んでないんだなぁというのが意外でした。まぁ、封建時代だしと思いましたけど、それだけに余計、最初の勝之介との恋愛が違和感あるわけでして、むしろ原作どおりに「好色」にしておいた方が説得力があったというか、無理がなかったんじゃないかなぁと思うのです。
で、母はさらに松平家で殿様が引退し、若殿がお家を継いだので、お腹様のお春と一緒に暮らしたがっていると言いまして、ほいほいと松平家に向かうお春でしたが、夜鷹だったり、島原にいたことはばれてまして、島原にいたのは父親のせいなんでお春に責任はないのに、自覚が足りないとかやいのやいのと家来衆に責められ、以後は謹慎状態になって、殿に申し訳ないと思いながら過ごせとか無茶言われます。
しかし、ここで初めてお春は自我を通し(勝之介との恋愛は勝之介の熱意に押された感があるため)、閉じ込めようとするお家来衆から逃げ出し、巡礼の旅に出たところでおしまいです。
最初はどこの乞食、もとい托鉢坊主じゃいと思って見てたら、お春でした。彼女なりに今まで渡り歩いた男のことを思っての巡礼の旅なのかもしれませんけど、あんまりお春の人生が流され、他人に左右されすぎで、だいぶ気の毒だったので、やっぱり原作のままで良かったんじゃないかなぁと思う次第です。
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