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されど平穏な日々

日々のつぶやきと読んだ本と見た映像について気まぐれに語るブログ。Web拍手のメッセージへのレスもここ。「Gガンダム」と「ジャイアントロボ」への熱い語りはオタク度Maxにつき、取り扱い注意! 諸事情により、コメントは管理人が操作しないと反映されません。時々、サイトの更新情報など。

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ポーランドの巨匠墜つ

ポーランド映画界の巨匠、アンジェイ=ワイダ監督がお亡くなりになったそうです。

「カティンの森」「ワレサ」「コルチャック先生」「灰とダイヤモンド」「地下水道」などなど、多様な映画を撮られた名監督でした。自国の歴史に向けられた眼差しが好きで、見ていない映画がいっぱいあるので、もっともーっと見たいと思っていたのに…。

ご冥福をお祈りします。数々の名作をありがとうございました!

追悼に特集組まないかな… (/_;)

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光州5・18民主化運動記念館ほか

順天(スンチョン)から光州(クァンジュ)に移動します。順天で駅前のモーテルに泊まり、格安(確か素泊まり1泊3万ウォン)なのに良い施設だったことに味を占めて、交通の利便性も考えて光州松汀駅前で宿を探しますが、うっかりロケーションだけで決めてしまったモーテルがいまいちでして、おかげで光州は5・18民主化運動記録館と国立墓地と自由公園だけで終わらせてしまいました。もっといいところに泊まれば良かったです…。

光州松汀駅。


なぜ光州駅ではないのかというと、この後、済州島に渡るために木浦(モッポ)に行きたいのですが、光州駅ではなくて光州松汀駅から接続してるんだそうですよ。ややこしいなぁ。

こちらは光州の5・18民主化運動関連の施設案内。光州の観光マップも手に入れましたが、肝心の現地の案内がわかりづらく、足を棒にしてまで探す気が失せたので光州は1日だけで終わらせてしまいました。


わしが5・18運動にこだわるのは、やはり映画「光州5・18」の影響が強いのは否めませんが、釜山から巨済島(コジェ)、晋州(チンジュ)、順天と来て、韓国という国の基礎を作ってしまったのが日帝による植民地支配と、その後の朝鮮戦争による分断にあるのではないかという考えがあるからです。それは当然、朝鮮民主主義人民共和国についても当てはまることで、もしもこの2ヶ国が歪んでいると言うのなら、その歪みはそもそも日本のせいじゃないかとわしは思うのですよ。それほど解放(日本による植民地支配からの解放)後の朝鮮半島への国際的な理解、特に欧米諸国の理解が酷いと。もともと独立国家だった朝鮮が日本から解放された後、自力で建国できなという考え方がおかしいだろうと。まぁ、それは口実で、冷戦まっただ中のアメリカは朝鮮半島をソ連と分け合うことで共産主義への防壁を作りたかったわけでしょうが、それは独自で人民共和国を築いた朝鮮の人びとの意志を無視するものだったし、日本支配時に日本に協力した売国奴たちを助命するものでさえあったことを思うと、朝鮮という国が自立するのはやっぱり朝鮮の人びとの判断に任せるべきだったと思うわけです。あと人民共和国を共産主義と見なすやり方にも反対するわけです。共産主義でも自由主義でもない民族主義だったのではないかと。
ならば理想を語ると朝鮮が解放後にあるべき姿はどちらの陣営にも与さない中立国だったんじゃなかろうかと思います。朝鮮人民共和国は、きっとそういう国になったと思います。

そういうわけで、まずは地下鉄で5・18記念公園へ。その中にある5・18記念文化センターですが、常時オープンはしてないみたいです。


公園内にあった記念碑。


背後のアパート群は韓国の大都市ではどこでも見る光景で、地震のことなんか考えてなさそうな薄い建物です。釜山でハングルを教わっていた先生が「人生初」だという地震にも、その後の大田(テジョン)が震源地の地震にも遭遇したわしとしては耐震に考慮されていない高層建築物というのはおっかないの一言に尽きます。

もう1つ記念碑。


その近くにあった解説。


もう1つ記念碑。


5・18民主化運動記録館。


5・18の史跡地にある碑。残念ながら、わしには筏橋(ボルギョ)並みの案内がないとたどり着けません…。メインストリートとなった錦南路。


5・18民主広場。


民主広場前のバス停から国立5・18民主墓地に行くには518番線(5・18だから!)に乗ります(記録館の反対の車線から)。


韓国はどこも市内バスの路線が多く、けっこう痒いところに手が届きそうな範囲を網羅して走ってますが、それだけに初心者には敷居が高く、光州のように英字併記はほんとにありがたいのです。ハングルだけだと読めるようになったとはいえ目当てのバス停を探すのも大変…

しかし下りるバス停を間違えて、バス停1つ分歩いて、さらに乗り直しましたが(2kmぐらい手前だった気がする…)、無事に着いた国立5・18民主墓地の全体図です。


韓国では公共施設における給水器の備えがほぼ100%に近いのでボトルを持っていれば、水をわざわざ買う必要性はありませんが、わしは愛用のTHERMOSを晋州から乗った市外バスでなくしやがったのでペットボトルに水を足すのでした…。

墓地にある記念碑。いい天気です。
 

旧墓地の方にあった建物。



入り口(写真左の像)の姿から察するに5・18民主化運動関連の建物だと思うのですが、ちょっと案内が足りなくて、よくわかりませんでした。

墓地で見学はおしまいにするつもりだったのですが、来る時に素通りした5・18自由公園(記念公園の隣)に憲兵隊の建物とかが復元されているというので閉園ぎりぎりの時間でしたが行くことに。


展示館の方は閉園してましたが、見学者がジオラマの方に行ったんで便乗して見てきました。実際の建物を移設したそうで、マネキンもあるものでリアルでした。特に牢獄は看守のアナウンスもあって、その罵声が嫌な感じ満載でした。

自由公園にあった野火烈士記念碑。



「野火夜学の活動家」とあるんですが、どういう活動だったのか、ちょっと不明…。

自由公園の手前に金大中コンベンションセンターがありましたが、特にイベントはやってなかったので素通り。金大中さんは光州の出身だそうですけど、あちこちの都市にも記念館あったような…。やっぱり初の野党出身の大統領だったから皆さん、印象が深いんでしょうか。

晩ご飯に食べた蕎麦。



歩き疲れてくたくたとはいえ、なぜ、この選択…。暑かったから、お手軽な麺に逃げたんですよね。

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筏橋ほか

さて晋州(チンジュ)から順天(スンチョン)に移動します。そろそろ鉄道に乗りたかったのですが、市外バスターミナルから晋州駅まで行くのがけっこう遠い上、列車は本数が少ないし、荷物も重い(約15キロ!)ので楽に乗れるバスにします。

順天駅前のモーテルに宿をとり、食べたのが順天名物のムツゴロウ鍋です。



味噌の味が強烈だったので生臭さはありませんでした。やたらに骨の多い小魚に唯一、ムツゴロウらしさが残ってたという。

順天駅で列車の時間を調べて(釜山発の木浦(モッポ)行き)、翌日は間に合うように起きます。
順天・麗水(ヨス)の叛乱の資料館とか記念館とかないかと思ったんですが、特になかったので順天の滞在は丸2日です。いいモーテルだったから、もったいなかったですが…。

さて、やってきた列車。


座席はこんな感じ。今日も炎天下のいい天気です。


金範佑(キム=ボム)も下りたであろう筏橋駅。線路側と入り口側。
 

ここら辺から感慨にふけり始めるわたくし。

町全体で「太白山脈(たまには最終巻)」をプッシュしてるので案内も完璧です。


赤い線が、たきがはがたどったルート。太白山脈文学館の見学も入れて、およそ5時間くらい。

駅にあった「太白山脈」の案内(と思われる)の看板。人物の写真が著者の趙廷來(チョ=ジョンネ)さん。三部作の残り「アリラン」「漢江(ハンガン)」も読みたいのですが日本語訳がまだないようですよ…。原文で読みたいなぁ…! 「アリラン」の方は記念館が全羅北道(チョルラプクド)の金堤市にあるそうです。
 

お目当ての太白山脈文学館(リンク先は公式サイトの日本語のページ)は筏橋からタクシーで10分くらい。よく晴れていて暑かったのでタクシーの運ちゃんが持ってた団扇をくれました。カムサハムニダ!



文学館の近くにあった地図。


内部は1万6千枚の直筆原稿に始まり、執筆するに当たっての資料や出版された書籍、執筆に使った筆記具、机、さらには作中に登場する廉相鎮(ヨム=サンジン)たちパルチザンが着ていた服とか、廉相九(ヨム=サング)、河大治(ハ=デチ)、素花(ソファ)の音声イメージ(素花だけ聞けず。俳優さんや声優さんが演技してるんだろうけど、それっぽくておもしろかった。個人的には廉相鎮や金範佑も聞きたかったなぁ)と、なにしろ「太白山脈」にどっぷりつかれる文学館です。3階には図書館もありまして、見たいと思ってた「太白山脈」の漫画版ほかも置いてあり、思わず、全巻手に取ってしまいました。漫画版はダイジェスト版という感じで、かつ子ども向けかな?

文学館を出ると、今度は生きた「太白山脈」の世界が広がります。まずは金持ちヒョン氏と素花の家。小説の冒頭、素花と鄭河燮(チョン=ハソプ)が出会うシーンです。

  

左の看板は「太白山脈」縁の地に置かれた共通のフォーマットです。炎天下で撮ってるからあいぽんの画面が見えず、切れる…

さらに近くの食堂でお昼ご飯にしましたが、筏橋名物、灰貝のフルコース、しめて2万ウォン。


灰貝はしばらく見とうない…。

文学館の近くにあった看板。


それぞれのスポットに立ってる道案内。数があってありがたい。ここから、なぜか撮る写真が真四角に。どこいじったんだろう…


上の内容は左が「筏橋駅」、右上が「太白山脈文学館」、右下が「花亭里教会」です。

着きました教会。教会自体は架空ですが、現実の筏橋だとここら辺が該当するそうです。
 

今度は左が「金融組合」、 右が「芙蓉橋」?


芙蓉橋の看板と実物。
  

今度は上から「金範佑さんち」、「芙蓉橋」、「自愛病院」だと思います。


金範佑さんち辺りにある個人宅。
 

虹橋。
 



太白山脈通りの看板。gilは2車線以下の狭い道路です(と済州島の市内バスで流れてた番組で解説してた)。


著者のレリーフ。反対から見ると浮き出しなんですが、なぜこの方向から撮った俺…。まるでホラー…。


筏橋の元金融組合、現在は農民相談所だとか。
 

「太白山脈」の地理を地図にするとこんな感じになるんでしょうか。


小説太白山脈文学…と書いてあるらしい碑。


上から「芙蓉山(M1高地)」、「宝城(ポソン)旅館」、「金融組合」。


この後、電車で帰ろうと思ったらお高いKTXしかないことがわかったのでバスで帰りました。バス便、ほんとに便利です。

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パアテル・セルギウス

レオ=トルストイ著。青空文庫刊。

潔癖症で完璧主義の軍人が婚約者の裏切りにより、僧となる。禁欲的な修行を求めて僧院から離れて洞窟に籠もるが、遊び好きな貴婦人を改心させたことで奇蹟を起こす僧として信者を集めるようになる。その生活を苦に思ったセルギウスは洞窟を出奔し、身なりを変えて町を彷徨っていたところ、浮浪者としてシベリアに送られ、そこで一生を終えたという。

て感じの粗筋です。
トルストイは「イワンの馬鹿」は面白かったんですが、「戦争と平和」がくっそつまらなかったので、読んでみたのですが、セルギウスのキャラが好きになれませんでした。「婚約者の裏切り」という書き方をしましたが、彼女が皇帝のお手付きだったということにショックを受けて出家しちゃいまして、その時点では著者がセルギウスに批判的なようだったんですけど、その後の展開見てるとセルギウスに同情的な書き方なんで結局、どっちだよおらな感じで、そこがあんまりおもしろくなかったかも。

結局、出家なんて自分のためという話ですかね?

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智異山パルチザン討伐館ほか

巨済島(コジェ)から順天(スンチョン)に移動して筏橋(ボルギョ)に行こうと思っていたのですが、ネットを検索していたら、智異山(チリサン)パルチザン討伐館と黄梅山(ファンメサン)映画テーマパークがあるという情報を手に入れました。

智異山は言うに及ばぬ「太白山脈」においてパルチザンたちが立てこもり、最後まで戦った山です。ちなみに麗水・順天事件の兵士たち、独立運動の闘士たちも立てこもった山で、韓国では漢拏山(ハルラサン)、金剛山(クムガンサン)と合わせて三神山と呼ばれているそうです。

黄梅山は「燃ゆる月」のロケ地だそうで、山麓に作ったセットを公開しているとあります。こうなったら両方とも見に行かねばなるまい〜!と決心して行き先を順天から手前の晋州(チンジュ)に変更。巨済島から晋州行きのバスに乗り込みます。

無事にバスターミナルに着いたのは良かったのですが、いろいろと調べるのを失敗してもう1ヶ所のターミナルに移動してしまい、元のターミナルに戻ろうとして2時間も市内バスに乗っていたのはここだけの話です…。2時間乗ってても相変わらず初乗り料金(というか、市内バスは基本料金しかとられないのですが)だけというのは韓国のバス万歳ですわい。

結局、バスターミナルから近いモーテルに宿をとり、智異山パルチザン討伐館、陜川(ハプチョン)映像テーマパーク、黄梅山映画テーマパーク跡地と行ってきたのでした(1日に1ヶ所)。

ちなみに陜川の方は行く気はちっともなかったんですけどタクシーの運ちゃんに連れていかれたという。「ブラザーフッド」のセットが置いてあったそうなんですが、炎天下の上、案内が不親切でわかりづらく、見損ねたようです。
あと、こういう映画のテーマパークというのは南楊州(ナミャンジュ)にあった「JSA」の板門店のセットでも同じだったんですが、どの映画のどういうシーンで使われました!って説明ぐらいないと忘れちゃってることが多いんでピンとこないんですよね。南楊州撮影所も炎天下での鑑賞だったもんで、あんまり楽しめませんでした。こっちはまた後で書きますわい。

陜川映像テーマパークの遠景(バス待ちしてる時に撮った)↓


さて最初に行った智異山パルチザン討伐館は智異山の山麓にありまして、内部は例によって韓国語のみでした。パンフも韓国語オンリー。
ただ主に朝鮮戦争にからんだ博物館なので、そこら辺の記憶は「太白山脈」がまだ新しいので、あんまり苦労はしませんでしたが、やっぱり解説読めないのは悔しいです…。

パルチザンの持ち物とか、基地の様子とか立体展示も多くて、「太白山脈」のあのシーンは、こんな風だったんだなぁ!とかの理解には役に立ちましたが。
ただ、廉相鎮(ヨム=サンジン)や河大治(ハ=デチ)たちと同じフィールドに立つというのは「太白山脈」の愛読者の一人としては大事なことでありました。この後、筏橋に行きまして、その気持ちはもっと強くなりましたけど。

で、もう1つのお目当ての黄梅山映画テーマパークは、「跡地」と上で書いたようにとっくに閉鎖されておりまして、地元のサイト(しかも日本語も)が残っていたので大いに期待して行ったんですけど(で1回目は間違って陜川に連れていかれた)住所を入れてナビで行ったタクシーで、なくなったことがわかったので完全に閉鎖です。

シュリ」でもそうなんですけど、もっと早く来ていればねぇ、ということが多くて、いろいろ残念だよ俺!

さて、黄梅山映画テーマパークが外したので4時ぐらいに晋州に帰ってきてしまいました。それで壬辰倭乱(いわゆる豊臣秀吉の朝鮮出兵ですよ奥さん)の時に激戦があったという晋州城に行くことにしました。ただ晋州城は朝鮮戦争で消失しているので、現在の城はその後で復元された物です。
晋州城攻防戦には小西行長が参加していたそうで、わしの脳裏には「黄金の日日(展開的には第41話、42話あたり)」の小西くん(つまり小野寺昭氏)が蘇るわけでした。歴史はこういうところがおもしろいよね!

入り口↓


将兵が休んだり宴したりしたという矗石楼↓


逆光なのでかなり暗そうに見えますが、この時期は釜山でも7時半くらいまで陽が沈みません。

矗石楼の入り口↓


矗石楼↓


人がいるのがわかるように、こういう場所は地元のアジュマ(おばちゃん)たちの社交場となってる可能性高し。晋州市民は無料ですが、それ以外は金を取られます。

矗石楼から眺めた南江(ナムガン)↓


城内にある護国寺↓


実際はこれぐらい明るいのですよ。そして暑い。

もう1ヶ所あった楼↓


あと、写真は撮りませんでしたが2度の晋州城戦で倒れた兵士や市民の慰霊碑もありました。
中にあった博物館は入り口が工事中で閉鎖してた模様です。

ちなみに壬辰倭乱で亀甲船を作って功績を挙げた李舜臣(イ=スンシン)将軍にはソウルに行くといやというほど会えます。

晋州でうっかり食べた納豆鍋定食(日本語で言うと)。



正しい名称は「清麹醤(チョングッチャン)」だそうです。ただ、作り方とか風味は、まさに納豆そのもの。納豆嫌いのたきがはは、思わぬパンチにノックアウト。ふんがー

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