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されど平穏な日々

日々のつぶやきと読んだ本と見た映像について気まぐれに語るブログ。Web拍手のメッセージへのレスもここ。「Gガンダム」と「ジャイアントロボ」への熱い語りはオタク度Maxにつき、取り扱い注意! 諸事情により、コメントは管理人が操作しないと反映されません。時々、サイトの更新情報など。

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カマオルム地下要塞ほか

今日はカマオルム地下要塞に行きます。観光センターでバスで行くのはけっこうめんどくさい(2回乗り換えなければならず、本数も少ない)と聞いたのでソルロク(緑茶博物館)までバスで行き、そこでタクシーを捉まえることに。

ちなみに北京といい、台北といい、南京といい、お茶には目のないたきがはですが、釜山でもBEXCOで開催された釜山国際茶・工芸博覧会に行きまして、智異山(チリサン)で採れたというお茶を両親に贈りました(わしがお茶好きなのは間違いなく両親の影響。北京でもお茶を1万ぐらい買った)。
なのでソルロクはかなり期待してたんですが、カフェの方がメインでがっかりです。

で、タクシーを捉まえてカマオルムは知らないけれど平和博物館というのがあるそうなので、そちらでいいと言って連れていってもらいますと、結局、同じところでした。おい。

オルムというのは済州島の方言で「側火山」のことで、そういや地図にカマ岳って載ってたわい。

さて、カマオルム地下要塞ですが、実はこれ、本土決戦に当たって、唯一、日本列島以外に作られた基地だそうです。当時の日本軍は連合軍が沖縄から経由するルートの他に、済州島を経由して北九州から上陸するルートを想定していて、結局は沖縄へ攻め込まれたわけなんですが、済州島の軍事施設は無駄になったのでした。
つまり、済州島にはカマオルム以外にいくつも日本軍が建設した要塞があちこちにありまして、全部見ようと思ったら、タクシーを何日もチャーターしないと無理じゃないかと思うぐらい、島内に点在しています。南のアルトゥル飛行場跡なんかが有名ですが、それだけでは終わらないのが辛いところです。正直、個人で興味本位で廻るにはしんどいので最初から行く気はありませんが。
カマオルムは日本軍が建設した基地の中でも最大のもので、ここに隣接して建てられたのが平和博物館なのでした。
ただし、観光センターから問い合わせてもらったところ、地下要塞の方が整備中だそうで入ることができないので見学は入り口と博物館だけです。

入り口。


で、日本人が来たというので、わざわざ日本語のビデオを流してもらいまして、博物館を見学し終えたところで見られるところを見に行きます。

地下要塞の全体像。



地下要塞の入り口。



下に下りるとすっと気温が下がりまして、外は炎天下(30度くらい)にもかかわらず、嘘のような涼しさです。これ、全体を見学できたら、最後の方で凍えそうになってたかもしれません。水俣で夏の真っ盛りに冷を取りに鍾乳洞へ行ったことがありますが、あの入り口からじわじわくる涼しさではなくて、いきなり気温が下がった感じでした。気分的なものもあったんでしょうかね、霊感0ですけど。

カマ岳の中腹から見下ろした光景。なにしろ暑いので頂上まで登る気はさらさらないのでありました。



その後、タクシーを呼んでもらい、西帰浦(ソギポ)のバスターミナルへ向かいますが、たきがは、ここで色気を出します。地図に「燃ゆる月」のロケ地と書いてあったので山房山、龍頭(ヨンモリ)海岸に寄ってもらったのです。
しかし、龍頭海岸はタクシーを待たせて遊ぶには2kmくらいの遊歩道がある上、どこが「燃ゆる月」のロケ地なのかわかりませんし、大した案内もないようです。そして、ここまで来て晋州(チンジュ)で「燃ゆる月」のセットがとっくになくなっていたことを思い出して、ここに寄るのは無理があったことに気づき、西帰浦バスターミナルへ。
ただ、タクシーの運ちゃんが、何とかわしに観光させてくれようと韓国の観光公社に電話したりしてくれたのはありがたかったです。おっちゃん、ええ人や〜

一応、山房山と龍頭海岸を撮影。

 

西帰浦バスターミナル隣接のEマート(総合ショッピングセンター)のフードコートで韓国に来て初めて食べたパスタ。



日本にいた時は毎週のようにパスタを食べていたのですが、韓国ではよほど韓国料理が肌というか舌に合うらしく、あと、パスタ全般が高いせいもあり、セットのおかずが乏しいせいもあり、パスタも洋風料理も食べたいという気持ちが起こりませんでした。

西帰浦からバスで帰りましたが、冷房がきつくて、危うく人生最大のピンチになるところでした。主に下半身的に。

4時前にターミナルに戻ってしまい、三姓穴(サンソンヒョル)にでも行こうかと思案します。耽羅国の始祖伝説ですな。



残念なことに5時で閉まってしまい、三姓穴は見られなかった(上の碑は入り口)ので、また西門市場へ行って、晩ご飯を食べようと思います。「火山島(たまには第4巻)」でブオギが買い物に行ったのはここかなぁと思いつつ。

途中で見かけた公式のトルハルバン。写真を失礼しますよ。



たきがはの好物、ご当地物。



なぜかタングラムのタイル。デザインはこれだけではなく、いろいろあります。だから、ご当地物探しはやめられませんのや。

ちなみに釜山で見つけた噴水。水を噴くと右のようです。

 

噴水?



四角いマンホール(と言っていいのか)。左から海雲台(ヘウンデ)区、中区、ジャガルチ、釜山鎮区。

   

丸いマンホールというものが韓国にはなく、全部四角でした。
ということは大昔、Macにあった「the Manhole」というハイパカ(Hyper Card)のゲームはわかりづらかったんでしょうかね。

ネットで見つけた「マンホール」のプレイ画像。


検索したらMasterpiece Editionなるものが復活したとか。「マンホール」にはゴールがないので、ぼさーっとハイパカいじっているのがおもしろかったのですよ。イベントを全部見たら、さすがに飽きてしまいましたが、今見ても動きとか凄かったです。

閑話休題

途中にあった五賢壇。済州島の発展に貢献した5人の賢者を讃える碑だそうです。へぇ

 

済州島は4・3事件で共産主義と思しき人びとは殺されるか逃げるかしてしまったので朝鮮戦争の戦渦を受けずに済んだのでした。

晩ご飯に食べた海鮮チヂミ。かなりでかい。おそらく2人前以上。



この後は昨日と同じルートでペンションに戻ります。翌日はソウルに移動。先日、書いたとおり、船に乗る時の不便さと+電車の値段が飛行機よりも高くつきそうだったのでソウルには飛行機で移動します。のんびり移動じゃなかったんかい俺。

おかげで、もうしばらく韓国にいたわりにKTXに乗り損ねました。

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済州4・3平和公園ほか

青い海からこんにちは。



今日はいよいよ4・3平和公園に行きます。

市外バスではなく、ツアーバスというのがいくつかの観光地を結んで走ってまして、それで行けます。
ただ、このツアーバス、1時間に1本と少ない上、12時のはなく、17時で終わってしまいます。直行できるのでそれなりに便利なバスではあるわけですが、4・3事件に対する評価といいますか、韓国政府か済州島特別州の自治体の痛し痒しな思惑を感じないではいられません。済州島において、重要な事件であるにも関わらず、腫れ物に触るような扱いと言ったらいいですかね。バス便がないのは内外の非難を浴びるだろうからしないけど、とりあえずありますよ的な。実際、4・3事件というのは済州島ではそういう扱いみたいです。なにしろ共産主義と疑われただけで殺された事件です。全島民の1/3が殺され、日本に亡命した人も少なくありません。パルチザンを狩るために内陸部の村落を潰したため、廃村になった村も数あります。そして現在の住民は事件後に移住してきた人が多いので、事件のことを知らない、あるいは当時の韓国政府の宣伝そのままに共産主義者の陰謀的な考えの人もいるのではないかと。
だから観光資源として4・3事件は大事にしたいけど、李承晩(イ=スンマン)に対して、まだ公式の批判的な記事の見当たらない韓国において、当時の政府批判は避けたいところなんだろうなぁと思いました。あんまり突っ込むとアメリカ批判にまで行かざるを得ませんしね。

そんなことを思いながら到着した4・3平和公園。



展示は相変わらずハングルと英文しかありません。あと、現地の人らしいアジュマの解説がありましたが、もちろんこちらも聞けません。ただ、詳細はわからないながらも「火山島(たまには第6巻)」での予習もありますので、だいたいの経緯とか流れはわかってるのは大事なことだと思いました。まったく予備知識なしに行くのは危険かもしれません。まぁ、予備知識のない人にとっては済州島は韓国のハワイであり、リゾート地なんでしょうけど、わしはそうは思えないです。
この後の、どこかの展示で見ましたが、美しいものをただ美しいと言えないことは悲しいことだと思います。

中のカフェで日本語の資料が読めてありがたかったです。ただ、読みふけっていたら終バスの時間ぎりぎりになってしまい、墓地とかは慌てて見学しました。

終バスに乗って済州市に帰りますが、このツアーバス、観徳亭広場に停車するそうです。観徳亭広場と言ったら、李芳根(イ=バングン)が最初から最後まで見下ろしていたところではありませんか! 喜んで下車します。

ここが観徳亭です。
 

見下ろす李芳根の視線は向かいのホテルかなぁと思いながら見学。

済州島は朝鮮戦争(という言い方は日本で、韓国では韓国戦争です)の戦渦を受けていないので復元した建物ではありませんから立ち入りは禁止みたいです。

済州島の守り神トルハルバン。

 

そこら中にありますが、本物というか公式のトルハルバンは済州島全体で45基しかないそうですよ?

観徳亭の解説。


「火山島」の最終巻にあったパルチザンたちの死体が積まれて、というシーンは想像しづらいところです。

観徳亭の中にある耽羅(タンラ)国の看板。


済州島は12世紀初めまで耽羅という独立国でしたが高麗に組み込まれました。そういうところはちょっと沖縄に似てるのかなぁと思ったりしますが、朝鮮半島の支配下に入ってからは流刑地にもされたそうなので八丈島のが近いのか…。

南京の明帝陵にもあった下馬房


朝鮮は15世紀に李氏朝鮮の世宗(セジョン)王がハングルを作らせるまで中国の漢字をそのまま使ってたそうなんで同じなんですね。読み方は中国とも日本とも違うんですが。それだけに朝鮮独自の文字を作らせた世宗王は今でも尊敬の念が強いようです。

さて、そろそろ晩ご飯の時間です。前日の食事が海鮮ラーメンというとってつけたようなメニューでお茶を濁してしまったので、たきがはとしては今まで「済州島に行ってから」と封印してきた済州島産の逸品を食べたいところです。そして、安くて美味い物が食べたかったら、市場に行くのがいいでしょう(蚕の蛹という代物にもお目にかかりましたが)。

ちなみに前日の海鮮ラーメン。



味は別に悪くないのですが、何が残念って、韓国のラーメンは麺が全てインスタント。しかも高確率で辛ラーメンです。当然、むっちゃ辛い。ハングルの先生に教わった「アンメッケ(辛くしないで)」という呪文も効きません。元のスープが辛いから(しかし、この呪文を唱えると、どうも日本人だと思われないらしく、あんまり辛くなくしてもらえませんでしたよ…)。

ちなみにこれが釜田(プジョン)市場でお目にかかった蚕の蛹の煮付け(赤枠内)。近所のスーパーで鯉の餌として売ってるバージョンしか知らないので恐ろしくて箸をつける気にもなれず。メインはチヂミ(パジョン)。



そして入った市場で見かけた済州島名物・豚の頭と足。



たきがはが頼んだ太刀魚の塩焼き定食。美味ぇ…



左端のは釜山で食べ損ねたカンジャンケジャンっぽいです。

日本で見かける太刀魚とどう違うのか、韓国で見る太刀魚はどれも1m以上の大物ばかりでお高いのでした。2万ウォンとかはざらで10万ウォンというのを釜山で見た…

ペンションに帰るバス停まで歩いていた時に見かけたにゃんこ。



バス停の案内。



こんなにわかりやすい案内は、あとは仁川(インチョン)で見たくらいでした。スマホのアプリじゃなくて神○中にも見習ってもらいたいですわい。

下りるバス停を間違えて、夕焼けを見ながらペンションに帰ります。

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紙の月

監督:吉田大八
原作:角田光代
出演:梅澤梨花(宮沢りえ)、平林光太(池松壮亮)、相川恵子(大島優子)、梅澤正文(田辺誠一)、隅より子(小林聡美)、井上佑司(近藤芳正)、内藤課長(大西武志)、平林孝三(石橋蓮司)、小山内等(佐々木勝彦)、小山内光子(天光眞弓)、名護たまえ(中原ひとみ)、今井(伊勢志摩)、ほか
日本、2014年

平凡な主婦による巨額横領事件を描いたサスペンス。

わかば銀行に勤める梅澤梨花は会社員の夫と2人暮らし。契約社員となって営業に廻された梨花は、あまり理解のない夫との暮らしに飽いており、苦学生・光太と出逢ったことから顧客から集めた金を横領するようになっていく…。

実際にそういう事件があったので題材はそこら辺なんだろうなと思いました。ただ著者が描きたかったという「“お金を介在してしか恋愛ができなかった”という能動的な女性」像は、この映画を観た感想としてはあんまりそうは思えず、やっぱり「“男性に対して貢ぐ”という形」だったように感じました。というのは、光太が学費を払うために借金をしているという話から横領するようになっていくのですが、光太と別れると金の使い道を新たに見出したようなエピソードもなかったからです。まぁ、その頃になると映画の尺だと梨花の横領がばれちゃって、どうするのかという展開になっているので、新たに金を使うというエピソードは挟みにくかったのかもしれませんが、原作の小説やテレビドラマなどではそういう展開もあったのかもしれません。

あと、ラスト、梨花が東南アジアに逃げて、女学生時代に寄付をしてあげた男の子に遭うというエピソードは、梨花が東南アジアにいるのかいないのかわかりづらく、梨花がどうして男の子(今は青年~親父)の目の前から消えちゃったのかという結末も何が言いたかったんだかわからなかったので、そんな蛇足を挟むくらいなら、思い切ってエピソードを切っちゃっても良かったんじゃないかと。

どちらかというと、梨花の女学生時代のキリスト教の教えに則っているようでいて(「与える者は幸いである」と言われて、寄付金を親父の金から盗み取ったという告白とか)、優越感に浸っていただけというエピソードの方が、切れ切れに出てきて、最後で収束するとはいうものの、少々、わかりづらかったので、梨花の性格形成に大いに影響しているし、横領事件を起こした根っこでもあると思ったので、そっちをちゃんと描いた方が良かったんじゃないかと思いました。

前評判は高かったけど、わし的には物足りない映画でしたわい。

たんぽこ通信 映画五十音リスト

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シュリ・ベンチほか

早朝の6時に済州の埠頭に放り出されるわたくしたち。

済州島の地図を入手していないので(観光センターさえ近くにないし、あっても閉まってる時間)現在地がわからず、予約したペンションに行くべく、タクシーを捉まえます。
ただ、有名なホテルならばともかく、ペンションの場所はタクシーの運転手さんにもわからないところがあるらしく、ちょっと迷いながらも連れてってもらいました。
着いたのが7時頃だったので、さすがにオーナーをたたき起こすのは悪いかと思って(チェックインの時間もだいたい午後だし)、待ちます。
10時頃にやっとチェックインして(2軒のペンションが並んで建っていたので間違えましたが)、荷物を部屋に置かしてもらいます。ここ大事。15kgの荷物を持って観光はできません。

で、ペンションのオーナーだと思った中国人女性(実はオーナーは別にいて、ちゃんと韓国の人だった上、日本語もできる)が市街地に行くというので一緒に出かけます。なにしろ、朝ご飯も食べてないし、情報収集もしたいじゃないですか。それに朝の11時頃から部屋でごろごろしているのはもったいないいい天気です。

済州島の青い海。



ただ、たきがは、済州島に来た最大の目的は本日のタイトル、「シュリ」のベンチを拝むことと、4・3事件の関連施設を廻ることです。おまけで日本軍が残した施設巡りというのも加わってますが。そもそも済州島に来たのはバカンスを楽しむためではなくて「火山島(たまには最終巻)」の世界にふけることだったわけですから青い海を見ても素直に「きれいねぇ」とは言えないわけですよ。その海で、この島で、どれだけの人がどんな理由で死んだのか殺されたのか知ってしまった以上、わしにとって済州島はバカンスを楽しむだけの島ではないのです。


観光センターで情報収集して、釜山で便利に使ってた交通カードが全国区で使えることを教えてもらいます。7-11でチャージしてもらえるそうです(その後、たいていのコンビニどころか売店レベルでもチャージできることが判明。恐るべし韓国の利便性)。ガ━━━(゚Д゚;)━( ゚Д)━(  ゚)━(   )━(゚;  )━(Д゚; )━(゚Д゚;)━━━ン!!!!! 光州(クァンジュ)で余計なカードを買っちゃったよ! 使えるとわかってれば順天(スンチョン)でも使ったのに!

朝から何も食べていないのでバスターミナルの食堂でお昼兼用のうどん。



むぅ…。美味いけどククスはもう食べられないのか。

ただ、シュリ・ベンチの正確な場所がよくわかってなくて、乗るバスを間違えまして、先に行ったのが西帰浦(ソギポ)ターミナルから30分〜1時間くらい(炎天下だったのでよくわからない)歩いて正房(チョンバン)瀑布に行きました。をい



こちらは「満月(作者は「火山島」と同じ金石範さん)」で4・3事件で殺された死体が投げ捨てられたところだったと読んでいたのでマイナスイオンがどうとかはガン無視です。下りたら、炎天下が嘘のように過ごしやすかったですが。

滝にあった観光センター(この、観光センターがあちこちにあるきめ細かいフォローがほんとにありがたい)でシュリ・ベンチの詳細な場所と行き方を教えてもらい、バスに乗るべく、歩きます。
この時、済州島産のみかんで作ったというオレンジジュースは生涯で飲んだなかでいちばん美味しいジュースだったと断言します! 同じのを空港で探したけどないでやんの…。もっと飲みたかったなぁ!!!

シュリ・ベンチがあるのは済州新羅ホテルです。昔はラストの台詞を書いた看板も立っていたそうですが、今はベンチだけです。
バスターミナルにも寄りますが、空港からのリムジンバスで行けます。
ちなみに隣のスイーツ・ホテルは以前は済州グリーン・ビラという名前で、「シュリ」の中盤でジュンウォンがミョンヒョンを隠すホテルだそうです(地理的にはソウルのはずなんですが)。

まずはジュンウォンと同じ目線で海を眺めます。美しい…


感傷的な気持ちで「When I dream(エンディング)」をかけます。



解説の書かれた看板。



しみじみした気分にひたってペンションに帰りました。

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木浦近代歴史館1と2ほか

光州(クァンジュ)の次はいよいよ済州島です。そのために李芳根(イ=バングン)のように木浦(モッポ)から船に乗るというプランですので、朝早い電車で木浦を目指します。まぁ、李芳根が乗ったのは小さなポンポン船(イメージ)で、こちらは大きなフェリーという違いはありますが、そこは気分です。

光州松汀駅。西光州とある方が光州駅へ行く路線ですが、線路はそこでおしまいなのでした。



あと木浦に行くにはKTXという選択肢もあるのですが、値段が倍以上違うので(速さも倍)、たきがはには選ばれなかったのでした。ただKTXの方が本数は圧倒的に多いので乗るならKTXの方が楽です。結局、乗り損ねましたが。

光州からはしばらく霧の多い風景が続きます。どこか日本の農村にも似た懐かしい景色です。



朝一の電車だからフェリーには余裕で間に合うだろうと思ったらさにあらず。タクシーをすっ飛ばしていけば、ぎりぎり間に合ったかもしれない9時発の済州島行きは、たきがはがもたもたしている間に出港しておりました。
そうとは知らずに呑気に木浦駅前の看板を収めるわし。



李芳根が見た光景を想像してみつつ、後でこれは実際の写真を見ることになります。

その後、フェリー乗り場に行ってみたところ、どうも閉鎖中らしい。事情がわからぬわしに日本語の話せるスタッフさんが説明してくれたところによると9時のフェリーは行ったばかりで次の24:00発のフェリーまで乗り場は閉鎖してしまうそうです。夜の9時くらいには開くから、その頃に来いと言われます。
しかし、ありがたいことに15kgの荷物を無料で預かってもらえるというので、わしは木浦駅に戻り(木浦の観光をするつもりがなかったので情報を収集していない)、どこへ行こうか検討します。

観光用のマップ(韓国の大都市にある地図で、おおむねハングル、英語、中国語、日本語が揃った観光用。多少、縮尺が怪しいところはあるけど見ていて楽しく、またわかりやすい。観光立国・韓国の心意気を感じます。ただ1つ難を言うとハングル表記も併記してもらえると実際の表記には日本語も漢字もないことが多いのでありがたいです)を見ていると木浦に近代歴史館が2つあるそうです。近代といったら日本とは切っても切れぬ関係の朝鮮半島。早速、見学に行くことにして、歩いていけそうなので、ぶらぶら出発です。

目印の歴史公園の麓(公園は山頂にあります)まで来ましたが、肝心の歴史館が見つかりません。唐辛子を日干しにしていたアジュマに聞いたところ、目と鼻の先でした。



この量の唐辛子をどれくらいで消費するんだろう…。秋の全国的なイベント、キムチ漬けの時に一気に使うのだろうか?

ここが木浦近代歴史館の1館です。朝鮮半島における日本による収奪の尖兵、元東洋拓殖株式会社・木浦支店の建物ですが、歴史的・文化的な価値を認めてもらい、歴史館として再出発したそうです。



内部は小さいながら木浦の開港の歴史と日本帝国主義による収奪や支配の写真などがメインで充実した展示で、731部隊の資料まであった日には驚きでした。どこの歴史館や記念館もそうですが、自国の歴史を学ぼうとする親子連れのお客さんがいて、近現代史について学校で教えない日本のお寒い実情は、ますます行く末を不安にさせます。

その後、2館の場所を聞いて、ぶらぶらと向かいます。休み時間だったろうに見えるところまで案内してくれた公民館(らしい)のお姉さん、カムサハムニダ! 実際、韓国の人たちは情に厚い方が多く、あちこちで助けてもらいました。わしはそのお返しに、助けられる方を助けました。

2館に向かう途中、お昼に食べたピンス(かき氷)。小豆餡とオレンジマーマレード、アーモンドスライスが載ってる贅沢な逸品。ピンスはどこでも、へたな定食よりよほど高く(5千〜1万ウォンくらい)、その値段の高さで敬遠してましたが、食べてみたら、氷が台湾のかき氷とよく似た細かさで口の中でふわっと溶けます。贅沢に載せられた小豆餡とマーマレードの組み合わせも良く、甘さと酸っぱさのハーモニーはもはやかき氷とは呼べぬ高級なデザートでした。


ちなみに韓国に行ったら、どこの都市でも見かけるパリ・バゲット(行った都市、全部で見た)で夏の名残にと思って食べた苺ピンスはこんなです。


大変美味しゅうございました。

朝鮮瓜もご馳走になって2館へ向かうわし。



甘くないハネージュメロンてところですか。この写真のは、わしが釜山で1個1千ウォンで買ったやつです。

木浦近代歴史館の2館。旧日本領事館です。



昨年末の日韓合意で撤去とか騒がれている少女の像と、そっくり同じ像が2館の麓にありました。



後で調べたら、この像は韓国の各都市で置かれている(しかも現在進行形で増えている)そうで、ソウルの日本大使館前のをどかしたからといって、クソの役にも立ちません。自国が犯した過去の過ちを真摯に反省したらどうですかね。くそったわけが。

内容は微妙に1館とダブることもなく、同量の資料が充実してます。なかなか見応えがあります。1館と2館は離れていますが、どちらの建物も木浦の近代史には欠かせない物ですから、散歩と思って歩きましょう。

さて、途中で見かけた銭湯に入ろうと思いましたが、手元にタオルがありません。しょうがないので、ここら辺で夕食を食べがてら、銭湯に入ろうと思い、タオルを買いに駅前に引き返します。ちなみに韓国ではダイソーも幅をきかせていますが、特に100円均一ではないようです。ただの安めの雑貨店て感じでした。

やっとダイソーを見つけてタオルを買い、銭湯に戻ったのが6時近く。しかし、わしの目前で出てきたアジョッシが無情に鍵をかけます。どうやら夜は営業してないくさいです。しかも、ご飯を食べようにも適当な店がない上、外灯が少なく、いくら韓国とはいえ、我が身の安全に不安が募ります。しょうがないので駅に帰りがてら店を探すわたくし。
その途中で「港こっち」みたいな表記を見つけたので、ぶらぶらと港へ。

結局、夕食に食べたのはヒラメかカレイ(違いがわからない女w)の刺身丼定食でした。



よくわからずにガンギエイ(ホンオフェ。世界で2番目に臭い)を頼もうとしたら、おばちゃんに止められたので、ほんとにこれは玄人向けのようですよ。

刺身丼は普通に美味しかったのですが、刺身はやっぱりわさび醤油で食べたいなぁとも思いました。もう豚+辛子醤油と一緒でDNAにすり込まれてるくさいです。

その後、駅に戻り、バスでフェリー乗り場へ。済州島までは約6時間ですが、個室は売り切れで20人くらいが雑魚寝の部屋以外はお高いスイートしか空いてません。泣く泣く雑魚寝部屋を買い、フェリーに乗り込みますが、乗船時の不自由さが、後に済州島→ソウルに至る際、たきがはに飛行機での移動を決心させたのでした(あと、船+列車の値段と比較)。

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