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されど平穏な日々

日々のつぶやきと読んだ本と見た映像について気まぐれに語るブログ。Web拍手のメッセージへのレスもここ。「Gガンダム」と「ジャイアントロボ」への熱い語りはオタク度Maxにつき、取り扱い注意! 諸事情により、コメントは管理人が操作しないと反映されません。時々、サイトの更新情報など。

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七人の侍

監督:黒澤明
出演:島田勘兵衛(志村喬)、菊千代(三船敏郎)、片山五郎兵衛(稲葉義男)、七郎次(加東大介)、久蔵(宮口精二)、林田平八(千秋実)、岡本勝四郎(木村功)、利吉(土屋嘉男)、万造(藤原釜足)、与平(左ト全)、茂助(小杉義男)、志乃(津島恵子)、利吉の妻(島崎雪子)、じさま(高堂国典)久右エ門の婆様(声:三好栄子)、人足たち(多々良純、堺左千夫、関猛)、強盗(東野英次郎)、ほか
音楽:早坂文雄
日本、1954年

見た回数がそろそろ両手の指では足りなくなってきた大好き映画です。次点「風と共に去りぬ」「シュリ」。

デジタルリマスター版というだけあって画面がきれいでしたが、わしにとってはおまけみたいなものなので、3時間半、どっぷりと浸って楽しんできました。

今回は最初に侍を探しに行く4人の百姓たちのうち、4人目の茂助(という名前は作中で出ていなかったように思いますが)と、「七人の侍」初心者がたいてい躓く(と断言する)五郎兵衛の活躍に注目してきました。

茂助は野伏退治に急進的な利吉と消極的な万造のあいだを取り持つ役です。もう1人、与平もいるのですが、気弱で何かというと失敗ばかりでべそをかいたり(米を盗まれたシーンとか)笑ってごまかす(菊千代と組まされた後に多し)ことの多い与平では、何かと対立することの多い利吉と万造の仲には割って入れません。
また勘兵衛を無事にスカウトできて、村に報告するために万造と一緒に帰るのも茂助ですが、この後、侍が村に来るというので娘の心配ばかりしている万造が志乃の髪を切り、男装させてしまい、却って村に騒動を巻き起こした時も万造を諫めたのも茂助でした。
つまり、村人のなかでもじさまは別格として、わりとリーダー格なキャラです。と思って見ていたら、初っぱな、野伏たちが襲ってくると知って、村人が集まって嘆くシーンでも、やっぱり野伏と戦おうと主張する急進的な利吉に対して「言われるままに麦を渡そう」と主張するのもやっぱり万造だったりして、これに対して「じさまに相談しよう」と言ったのは茂助だったような気がします。
しかし、そんな茂助に訪れる転機は、実は家が川の向こう側にあるということでした。つまり、村にやってきて村の要塞化を進める勘兵衛により、川向こうの家は見捨てられるわけなのです。そうと知らされて、いの一番に「自分の家は自分で守る」と言って竹槍を捨てるのも茂助。
もっとも、この時は勘兵衛に刀まで抜かせてしまい、村の守りに戻ることになりますが、後で川向こうの家が野伏によって燃やされるシーンでは茂助は集まった村人たちを「持ち場に帰れ(けえれ)」と言って追い返す、リーダー的な役割を担っています。
ラストシーン、農民たちの陽気な田植え歌で終わりますが、この時、自ら太鼓を叩き、先導する利吉に対し、茂助や万造が目立ちませんが、きっと田植えのなかに混じっているのだと思いました。与平は最終決戦で背中に矢を受けているので(シナリオでは死んでないそうですが)、きっと傷の療養してるんだよ!と思ったりしました。

そして、リーダー勘兵衛、トリックスター菊千代、孤高の剣客・久蔵、若侍・勝四郎といったところはすぐに覚えられるものの、あとの3人で躓きがちなのも「七人の侍」初心者にはありがちなことだと思います。というか、わしがそうだった。

平八は「薪割り流を少々」と言ってること、旗を作ること、7人のなかで真っ先に倒されてしまうことなどから比較的印象に残りやすいと思います。
あと、倒れた4人のなかで、平八だけが戦死ではなく、女房を追った利吉を庇っての死であるというところも異色というか、平八らしいなぁと今回、思いました。
中盤、斥候の野伏から、野伏たちの拠点が山にあると知った勘兵衛たちは夜襲をかけることにします。この時、利吉を案内に向かったのが久蔵、平八、志願したけど勘兵衛に止められた勝四郎の代わりに菊千代でした。
このシーン、久蔵と菊千代と勝四郎はわかりやすいのです。久蔵は勘兵衛に曰く「己をたたき上げる、ただそれだけに凝り固まった奴」ですので合戦の機会は逃さないでしょうし、菊千代は元々は百姓ですので功名心は人一倍、腕前も7人のなかでは最強ですがトラブルも好きでもめ事には自分から首を突っ込んでいきそうなタイプです。勝四郎は、そもそも勘兵衛を百姓たちに協力させることになった影の功労者であり、正義感だけが突っ走った若侍です。
でも、五郎兵衛がその腕前を「中の下」と評す平八が、たとえ奇襲とはいえ、野伏の砦に志願するというのは前にもどっかで書きましたが意外だと思いますし、勇気のある人なんだろうとも思いました。それだけに利吉を引き留めようとして種子島に撃たれて命を落としてしまうシーンがより印象に強く、それまでの千秋実さんの飄々とした演技と相まって、彼の死を嘆くシーンがより胸を打つのだと思いました。

勘兵衛をして「古女房」と言わせるほどの付き合いを持つ七郎次の格好良さについても今回は惚れ直しました。勘兵衛にさらっと話す先の戦で生き延びたこととか、「走れなくなったら戦は終わりだ」と言うところとか、もともと好きなキャラではあるんですが、勘兵衛に誘われた時に二つ返事どころか黙って微笑んで見つめ返すというシーンが良かったです。七郎次が勘兵衛に寄せる信頼と、勘兵衛がその七郎次を頼みにしているという2人の関係がこの短いシーンで凝縮されていて、七郎次かっけ~!!!と感動しました。
あと忘れちゃいけないのが木賃宿での七郎次の振る舞いです。勘兵衛にさりげなく、すすぎ水を持っていく、着物のつくろい、まさに「古女房」。七郎次いいよ七郎次vv

そして初心者がいちばん躓きやすいのが五郎兵衛。
今回は見ていたら、五郎兵衛の活躍はそれなりに多かったんですよね。ただ、やっぱり、一人だけ死に際が描かれていないのが残念。
平八が倒れて、どうやら平八の受け持ち分を五郎兵衛が担うことになったんですが(ほかに勝四郎しかいないからしょうがない)、勘兵衛が「良い城には1ヶ所だけ隙がある」と言ったように久蔵と五郎兵衛が守る裏山からの道路を野伏たちが攻めてくる場所に仕掛けたわけです。よって、激戦になるのは必須、想定のうちなわけなんですが、五郎兵衛は種子島の2発によって倒されてしまったようです。村の中に招いた野伏たちを追い詰める勘兵衛が、その音で、その場を七郎次に任せ、走っていくと、すでに事切れ、運ばれてきた五郎兵衛の死を嘆くというシーンのみなわけです。
もっとも、この時の五郎兵衛の死は、菊千代が功名に走ったためでもありましたから、菊千代が落ち込んでしまい、勘兵衛に慰められるというシーンにも繋がるのでそれなりに意味はあるんですけど、五郎兵衛自身はすでにいないのでわかりづらいんだろうと思いました。
ただ、五郎兵衛自身は勘兵衛に次ぐ2人目の侍でもあり(勝四郎がすでにいますが、認められるのは最後だし)、「ご冗談を」と言って影に潜んだ勝四郎の襲撃を見抜くという剣豪らしいエピソードもあるわけなんで、慣れると勘兵衛が頼みにするナンバー2というポジションは他の5人にはまた替えがたいのです。
終盤、五郎兵衛のポジションには久蔵が収まってますが、久蔵だと話が弾みそうにないし。

あと、鉄面皮かと思っていた久蔵が、主に菊千代や勝四郎がらみだったりしましたが、けっこう声をあげて笑うシーンがいくつかあったのを発見したのも嬉しかったです。久蔵格好いいしね。「己をたたき上げる、ただそれだけに凝り固まった奴」と言われてるけど、勝四郎と志乃の恋を黙っておいてあげるとか、実は優しい人というエピソードはギャップ燃えでしょうか。

また配役のなかで2番目(三船、志村に次いで、志乃役の津島恵子さんと一緒)に登場する島崎雪子さん演ずる利吉の女房の鬼気迫った演技は、いつ見ても凄いと思いました。

どこかでかかれば、また見に行くと思います。日本映画の最高傑作です。

たんぽこ通信 映画五十音リスト

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日本大使館前の水曜デモに行ってきた、ほか

ソウルに来たら、いろいろと行きたいところがありまして、日本大使館前の水曜デモもその1つでした。あと前日に行った南楊州総合撮影所とか、ナヌムの家とか… ナヌムの家には予約を入れて、翌日、行くことになってます。あと板門店とDMZも行きたいのですが、こちらはめんどくさがって連絡が遅れたのが10日ほど緊急帰国になってしまいました。ちゃんと確認しようよ俺。

というわけで、今日は日本大使館前に行きます。12〜13時の予定ですが、まだ人はそれほどいません。

1000回のデモをやった記念のプレート。



世界一情けない光景。



警官隊の奥にある工事中の囲いが日本大使館の敷地です。一昨日、遊んだ光化門広場から目と鼻の先の超一等地です。現在は後ろのビルに間借りしてるそうです。それにしても警戒が厳しくて、万が一、わしが大使館に逃げ込まなければならないような目に遭っても、簡単には入れてくれなさそうな感じ…。
何より、外国の警官隊に守ってもらうという姿のみっともなさには涙がちょちょ切れるくらい情けないと思いました。そんなことをして守ってもらうくらいなら、ごめんなさいと誠意を尽くして謝った方がどれほど格好いいかしれません。間違ったプライドにしがみついて謝罪の言葉も出せない馬鹿者の姿です。わしはこういう時、日本人であることがつくづく恥ずかしいです。まったく…。

大使館の向かいの壁は、こんな風に参加者のメッセージで埋め尽くされています。わしも日本語で書いてきました。



木浦(モッポ)でも見た少女の像。



今日は暑いけどマフラー巻いてますが、冬は帽子をかぶっていたり、コートを羽織っていたりと皆さんの厚遇ぶりが涙ぐましいです。
なにしろ人気者なので来た人が記念撮影している隙を狙って撮ったのでした。

デモというより、移動しないので集会と言った方がいいと思うのですが、夏休みに入ったせいか若人のダンスあり、弾き語りあり、演説あり、日本の高校教師の挨拶あり(参院選の野党惨敗にもかかわらず、言ってることはぬるいぬるすぎる!!と思いましたが)と盛りだくさんな内容です。日本のデモとかもさ、こういうのの爪の垢を煎じて飲んで、勉強したらいいと思いますよ。

お孫さんと手を繋いで挨拶されるハルモニ(被害者の方たちをこう呼びます)。



集会が予定より20分オーバーで終わり、お昼を食べたら、今度は戦争と女性の人権博物館へ向かいます。

お昼に食べたきつねうろん。



日本大使館に近いので日本人の客を当て込んで日本風の食堂でしたが、関西のきつねうろんを食べてしまうとただの油揚げは犯罪だと思います…。

水曜デモのあった日は3時開館だそうなので、近所のカフェで時間を潰します。
その時に出てきたゼリービーンズ。



アメリカ産らしく、どぎつい色合いですが、20年以上前のたきがは家ではこれのウォーターメロン(要するに西瓜味)が大人気でした。
懐かしくなって写真を撮るわたくし。フラッシュ焚いたら、色味がいい感じに撮れましたよ。

3時過ぎに向かいます。その途中の坂道。



何か写真だと平坦そうに見えますが、両脇の塀や家の斜めから、けっこう急な坂道なのです。ソウルでは一歩裏通りに入るとこういう地形が多く、釜山も坂道がきついところが多かったです。

内部は「従軍慰安婦」の展示が多かったですが、世界の紛争と女性への暴力というコーナーもありました。しかし何といっても圧巻は被害者の顔写真と命日を煉瓦に刻んだ追悼館でしょう。献花して、次の方のために募金も入れてきました。
日本語の音声ガイドの貸し出しもあったり、32ページにも及ぶ挺対協の新聞も頂いたり、充実した時間を過ごさせてもらいました。
後で弘益大の近くに「ナヌムの家」の監督がカレー屋を開いていると知ったので、寄ってくればよかったと思います…。あの映画でハルモニたちと丁々発止の会話を交わしていた監督が良かったので。

その後、夕ご飯まで時間があるので「シュリ」のロケ地巡りの一環で江原(カンビョン)へ向かいますが、ユ=ジュンウォンとイ=ジャンギルがカートを押して密売人と接触しようとしてイ=バンヒに邪魔されちゃったショッピングセンターはこんな感じに変わってました…。とほほ



クライマックスのサッカーの試合は、この競技場で撮られました。



ジュンウォンとジャンギル、ミョンヒョンが雨に降られて駆け込んだのはここらしいですよ?



泊まっていたのがレジデンスという民泊のようなアパートなんですが、シャワー室の換気扇が壊れていて熱気が籠もって大変暑い上、エアコンが全館しかないのでシャワーを浴びた後に汗だくになります。シャワーを浴びたら、近所のカフェでネットも兼ねて繰り出し、涼んでました。

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南楊州総合撮影所ほか

JSA」の撮影のために作られた板門店のセット、「酔画仙」で使われた民俗村のセット、ほか現在も使われている映画スタジオ併設の見学所です。

なんですが、サイトの案内が不親切すぎで、わし、炎天下で30分も歩きました。送迎バスがあるならあると書いておけくそったれ!!! バスなんか乗らなくたって電車(京畿・中央線ウンギルサン駅)で行けるじゃないか!!!

という感想が真っ先に立ちまして、とぼとぼと歩いて、しかも手前に入り口があるもんで、さらに1kmも歩かされたので、観覧料金払わずに見たけど、30分も歩かせ代じゃ馬鹿野郎。

途中で撮った唐辛子畑。



韓国の唐辛子はニンジンくらいの長さがあります。でかいです。辛いわけだよおっかさん。

陜川(ハプチョン)映像テーマパークもそうだったんですが、どの映画のどのシーンみたいな案内が相変わらずないので、1回しか見てない「酔画仙」の記憶はあんまり蘇りません。村なんで映画に登場した村がそれだったのかもしれませんが、ほかにも何本も映画やドラマを撮っているわけです。こういうシーンで撮影しましたって案内があれば見たことのない映画にも興味を覚えるかもしれませんが、何もないので素通りです。
これはたぶん、現在も使われている撮影所なのでセットとして使うことがあるかもしれないから、そういう時のために下手に看板とかあると邪魔だと思うので最初からないんでしょうけど、だったら公開するなのわかりづらさです。

ちなみに目当ての板門店セットはこちら。



やっぱり炎天下なので、オ=ギョンピルがイ=スヒョクに唾をかけた南北朝鮮の境界線(2つの建物のあいだ。高さ15cmくらいの敷石が連なってます)まで行く気力もありません。実物では北側の領地には入れないので行っておけば良かったと思いますが(特に奥の建物)何しろ暑いので気力が湧きません。

銀杏の木のベッド」があるっていうんで最奥まで行ってみましたが、韓屋はあったけどベッドなんかなかったよ?

もちろん帰りは送迎バスでウンギルサン駅まで行きます。

そう言えば、撮影所に向かう途中で子猫の鳴き声が聞こえまして、自分さえやばいのに、さらに幼い命を引き受けるのは難しく、痛恨の思いで素通りしたら、撮影所の受付に同じような年の子猫がいて、まさか拾われたのだろうか? だったらいいなぁ… ちゃんと飼われているといいなぁ。そういや、ジャガルチでも子猫見たなぁ… orz

ウンギルサン駅から見た空。



晩ご飯に食べた南大門(ナムデモン)市場名物の太刀魚の煮付け。見た目でわかるとおり、むっちゃ辛いです。



太刀魚はやっぱり塩焼きか刺身に限るわい。

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西大門刑務所歴史館ほか

14日はソウルに移動して、情報収集します。何ヶ所か行きたいところがあるので、ソウルの滞在は1週間の予定ですが、いろいろと事前の調査が不足してまして、宿がいちばん困ったっていう…。

まずは日本支配の悪のシンボルみたいな西大門刑務所歴史館と安重根(アン=ジョングン)義士記念館へ行きます。



何ですか、この人の多さは?

当日は8月15日。日本では敗戦記念日ですが、韓国では光復節と言いまして、日本による36年の植民地支配から解放された記念日です。なもんで、あちこちで記念行事を開催していた上、通常は有料の記念館も入場料が無料! おかげで見学しづらかったです。例によって日本語の解説がないのでわかりづらかったのですが、金を払っても別の日にすれば良かったと思いました…。

一応、午前中に入ったのですが、見学し終わって、出てきたら、さらに列は長くなってました。



ここは朝鮮戦争で消失しなかったようで、当時の建物がそのまま残されてます。真夏の暑さの下、大勢の人と一緒に見学してますが、アウシュビッツにも似た雰囲気に背筋が寒くなりました。お客さんの少ない時の見学はちょっと精神的に辛いかも…。

この後で見た「密偵」という映画で、ジョンチュルが釈放されたシーンで入り口のところが使われてたと思います。中はたぶんセットでしょう。

西大門の近くにある独立公園の独立門。



地下鉄の駅で塩気のない蒸しトウモロコシを食べてお昼ご飯にし、安重根義士記念館に向かいます。
しかし、それが南山(ソウルの真ん中にある自然豊かな山)の中腹にあるものでパラダイスカジノからえらく急な階段を昇りまして、やっとの思いでたどり着きました。ひぃぃぃぃ…
後で、あの急な階段を下りるのは無理だと思って館員さんにバスはないかと聞いたら、やっぱりあるそうで、改めてソウルのバス路線の複雑さを思い知るたきがはでした。



安重根は日本では伊藤博文の暗殺者ですが、韓国や中国では義士、つまり韓国の独立や日帝との戦いに命を捧げた英雄です。彼が伊藤博文を射殺した哈爾浜駅にも、このようにわざわざプレートがあるのでした。あと小さな記念館も。



実際のところ、わしがあの時代を生きていたら、やっぱり朝鮮の独立に共鳴しちゃうと思うし、できることなら手を貸したいです。貸すという言い方は傲慢なので、一緒に戦いたいです。後、伊藤博文を初めとする朝鮮総督府の悪さもあちこちで見てきてますんで、安重根氏を義士と言うのは大いに共感できるところなのでした。
なので、朝鮮独立のために戦い、最後は刑死させられた安重根氏の経歴をきちんと勉強させてもらいますという気持ちで見学しました。

しかし、そうは言ってもそれほど大きな記念館ではないので時間が余りまして、行く気はそれほどなかったんですけど、せっかくなんで景徳宮(キョンボックン)へ向かいます。



ここは地下鉄の5番出口で背後に国立故宮博物館がありますが見学しませんでした。建物だけ撮影。



景徳宮も日帝時代に計画的に壊されたそうで解放後の復元です。なにしろ朝鮮半島は戦争で焦土と化したので元の形に復元することの大変さと朝鮮の人たちの熱意には敬意を払いたいと思います。

これは光化門から2つめの門、興禮門。チケット売り場や音声ガイドの貸し出しは光化門の方なので5番出口は効率悪いことこの上なし…。

 

この白い砂が景徳宮全体に敷き詰められていて靴(crocs)に入って困りました。足痛い。

韓服、いわゆるチマ・チョゴリを着た若い女の子たちが10人以上いて、よく写真に撮られていたり、記念撮影に一緒に収まっていたりしました。どうやら景徳宮の雰囲気を盛り上げるためのバイトさんのようですが、足下がスニーカーだったりハイヒールだったりで、わし的には興醒めだったので、そこは意地でも伝統的な靴を履かせようよと思いました。あと、韓国のバイトは暇さえあれば仕事中でもスマホをいじっているのも、ここでは少し止めさせたらいいのになぁと思ったり。

ここが全体の入り口、光化門です。



有料の日本語音声ガイドを借りて(要パスポート)、のんびり見学します。

3つめの門、勤政門。



この内側が王が政務を行った勤政殿です。

この建物が勤政殿。



広場に立っている30cmくらいの石柱は、どの位の役人がどこに立たなければいけないという目安だそうです。よほど忘れやすかったのか、厳密な場所が決められていたのか…。

これは修政殿。



朝鮮王宮は中国ほどの華美さはなく、質素な印象で、どれも同じ色使いだから、それぞれの建物にはそれぞれの理由があって建てられているのですが、見た目が同じで飽きてきます。

王が臣下と宴会をしたり、外国の使節をもてなしたという慶会楼。



その後、光化門広場に入り、いい加減に歩き疲れているくせに地下に下りて世宗物語・李舜臣物語の展示を見学してしまうわしでした。

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東学農民革命

監督:前田憲二
通訳・助監督:林秀貞
ナレーター(日本語版):関根正明
主催:NPO法人ハヌルハウス
見たところ:YMCAアジア青少年センター
日本・韓国、2016年

サブタイトルは「唐辛子とライフル銃」です。

朝日新聞の夕刊で「日韓映画、監督のバトン」という記事が掲載されていました。韓国の監督が製作半ばで亡くなったドキュメンタリー映画を日本の前田憲二さんという監督が継いで完成されたという記事です。上映会を10月10日、11日の2日限定でやるとも載ってます。題材は、わしがちょっとだけ勉強した東学農民運動についてのようです。電話で予約して行ってきました。

観客席はそこそこ盛況でしたが、相も変わらず若者の姿が皆無に近く、お年寄りの方ばかりで、まぁ、平日の3時開演という時間もあったせいかもしれませんが、心配になりました。

東学農民運動は日清戦争のきっかけというか、日清の介入を呼んでしまった東学党による農民革命でした。東学党というのは、現在の韓国では天道教と名前を変えて存続しており、中国からの朱子学、西洋からのカトリックのどちらにも寄らない朝鮮独自の宗教・思想です。

映画は、東学の始祖・崔済愚(チェ=ジェウ)に始まり、2代目の崔時亨や、日本軍に追われる東学党の残党が遠く済州島まで逃げていった話や、東学党の遺族、研究者などがちょっと散漫的に登場します。場面場面の転換で稲妻のショットを挟むのは蛇足だったような…。途中で舟を漕ぎかけましたが、沈没せずに済みました。

これは東学党=天道教が3・1独立運動を担い、現代の韓国にも息づく宗教であることが、何かしらの結論、あるいは問題提起のようなものを見出せずに終わったせいなのかなと思いました。あんまり風呂敷を広げすぎずに、たとえば天道教まで手を出さずに東学党で終えていれば、もうちょっとまとまった内容になったんじゃないかと思ったり。

ただ、この事件をきっかけに日本は呼ばれもしないのに朝鮮に出兵し、大陸侵略への足がかりを作ったのは紛れもない事実であるわけです。
そういう意味ではもっと多くの日本人が見るべきドキュメンタリーだと思いました。

YMCAアジア青少年センターにあった3・1独立運動より1ヶ月も早い独立宣言の記念碑。



ソウルのタプコル公園から始まった独立運動は、ここの独立宣言を受けてのものだそうです。

わしは日本の罪深さに恥じ入ってしまいます。

近くにあった故・米沢嘉博さんの名を冠せられた図書館。そういや明治大にあるって聞いたっけ…



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