15年戦争と日本の医学医療研究会編。文理閣刊。
サブタイトルは「医学者・医師たちの良心をかけた究明」で、さらに表紙に「繰り返すまい! 医学者・医師たちの戦争犯罪」とありますが、
僕たち、頑張って究明したよという意識のが先に立ってしまって、肝心の突っ込みはぬるいように思いました。
と言うのも、初っぱなで常石敬一が書いていたので、その時点で怪しさ100%増し(当社比)になったので、そういう粗ばかり目についたからです。わしにとって常石敬一というのはそういう判断をする作家です。
「
医学者たちの組織犯罪」にて犠牲者3000人を何の断りもなしに2000人に縮小した時点で堕すべき歴史修正主義者に成り下がってます。もしも誤植なら、とんでもない誤りです。修正するべきです。それをしていない時点で常石敬一が歴史修正主義者であるという判断は揺るぎません。
その常石のはわずか4ページ足らずの小論ですが、突っ込みどころは2点。
「かつて731部隊という鬼の集団がいて、ひどいことをしていました。戦争は恐いですね」ということで731部隊員を鬼として切って捨てることはできないと言っておきながら、その後の別の奴の文中に部隊長の石井四郎一人を悪魔のような描写をし、あまつさえ
「石井四郎だけでも罪を償っておれば、わが国民がこれほどみじめな気持ちにならなくてすんだものと思うと切り捨てるわけです。
おいおい、この本のスタンス、どっちだよ。それじゃ、まるでヒトラー一人を大悪党に仕立てて、ほかのナチスは従っただけってのと同じだろ。そうじゃないでしょ。始めたのは石井四郎だとしても、そこに乗っかったのが731の医師たちだろ。戦争のため、お国のためと言い訳して、敗戦後もむしろ人体実験で得た知見をもとに戦犯を免罪され、ミドリ十字とか興し、京大の学長にまでなった奴だっていたじゃん。石井一人が裁かれたとしても、それで安心してんじゃないよ。みじめな気持ちとかふざけたことぬかしてんじゃないよ。だからいつまでも十五年戦争についての反省ができないんだよ馬鹿じゃねぇの。どこが良心をかけた究明なんだか教えてもらいたいわ。
ってわけで、常石に続いてケチがついたので、サブタイトルに反して、絶対にこいつら、同じ状況になったら平気で同じ言い訳して繰り返すよと確信しました。
んで、その後、2つほどはすっ飛ばして(全部読んだけど特に突っ込みどころがないという点で)731部隊が撒いたペスト菌がどんな「成果」をあげたのかという論文の最後で、「
PX(ペスト菌)撒布作戦の初回に、在満日本人14名が犠牲になっていることは注目すべきである」というのを読んだ時に、海外で何か大きな事件や事故があっても、日本人の犠牲者がいないとわかった途端に扱いが小さくなるマスコミの報道を思い出して、ああ、これって日本人特有の考え方なのかもなぁと思いました。日本人関係なきゃ、どんな大事故も大事件もどうでもいいような、そういう根性がこういうところにもさくっと顔を出すのだなぁと。
あと、この手の歴史関係を読む時にわしはたいがい突っ込むんですが、
敗戦を終戦と言う奴はろくでなしばかりだと確信しました。だからといって敗戦と言ったとしても駄目な奴は駄目ですが。
またずーっとすっ飛ばして第三部の「731部隊とワクチンメーカー製造元」という論文中に「
誰一人として「自ら犯した過ちの記録」を後世に残すことは考えなかっただろう。また日本はそんな文化を持たない」というところを読んだ時には本気で
この国滅びろと思いました。
また731部隊員ではなかったけど、直接の上司であった遠藤三郎を扱った論文は二言目には「陸軍のエリート」とか言ってて鼻につきまして、やっとこ最後の方に来たのに、このまま本を放り投げようかと思ったくらいでした。しかも言うに事欠いて「性格はやさしく、人から殴られたことはあっても、自分は他人を殴ったこともない」と自叙伝での回想を何の批判もなく引用し、以後、敗戦後、平和主義者になったという遠藤を強調したがるんですが、そのわりにゃあ、日米安保条約に反対したとか、日本の再軍備に反対したという経歴はWikiにも見当たらず、大した平和主義ではないなぁと思います。だいたい自分の自叙伝で「手も付けられない腕白者」とか「乱暴者」とかなかなか書かないでしょうからねぇ… 真に受ける方がどうかしてますわ。
まぁ、何本も遠藤三郎について著作があるようなので、自画自賛の域に入ってるんでしょう。馬鹿じゃねぇの。
ついでに言えば、盧溝橋事件は日中両軍の衝突じゃなく、中国を侵略したい関東軍の謀略でしょう。そういうところ、端折んじゃないよ。
まだ言うと遠藤三郎が「戦争をすれば、たとえそれが自衛戦争であっても軍人の判断力を狂わせるものであることを実感した」と上でも書いた自叙伝に書いたそうですが、ちょっと待て。
近代の日本に自衛戦争など1つもないわ。全部侵略戦争じゃ。阿呆んだら。
しかも
日本国は世界に先駆けて武装を放棄し、平和国家に生まれ変わったのであるなんて著者が自画自賛してますが、おいおい、1950年には警察予備隊、1954年には自衛隊できてんだよ。それは完全に無視かよ?
んで極めつけ、
侵華日軍第731部隊罪証陳列館に著者が行って、遠藤の写真を見て「
「自分は今もこの場所で、あの戦争を指導した過ちを反省している」と内外の訪問者に語りかけているようにも思われた」なんて言って、何妄想に浸ってんの? おつむ、湧いてない?
最晩年の遠藤は「老兵はもはや消へ去るのみ」とどっかのマッカーサーまんまな挨拶をしたそうですが、
その輝かしい理想はなおも力強く日本人の心に生きていると筆者は信じたいとか、勝手に信じてれば。そんな日本人どこにおんねん。
と最後は間接的にと言いつつも、石井四郎の上司だったんでだいぶ密接な繋がりはあったんですけど、
遠藤三郎賛歌と言いたくなるような論文で占めまして、
どこが「医学者・医師たちの良心をかけた究明」だったのか小一時間と言わず問い詰めたいですわ。
特大の地雷を踏んだ気分なので、次からは目次もちゃんと確認しようと心に誓ったたきがはでした。
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