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3月末の謎な4連休。

フクイチはいっこうに収束する様子もないし、食べる物はますます選択肢を狭められ、このまま日本にいていいんだろうか? とっとと海外に逃げ出さなきゃまずいんじゃないだろうかと悶々とする毎日。

そんななか、生きているうちに行っておきたいところがいくつかあるわけなんですが、南京と哈爾浜郊外とソウルと、その他もろもろ… 思い立って南京に行ってきました。パスポートが切れてしまって不安があったのでとってしまい、いつでも海外に行けるという保険をかけて、本当は南京と哈爾浜とソウルとでどこに最優先で行きたいという優劣があるわけではないんですが、ネットでいろいろと調べていたら、南京行きの直行便が木曜日と日曜日の発着でありまして、ちょうど休みも木曜日から日曜日だったもんで、いつでも行けそうなソウルと、行くのにさらに大変そうな哈爾浜郊外はちょっと後回しにして、南京に行ったのでした。もちろん南京大虐殺の場所を見るためです。それ以外の理由なんかありませんでした。
本当は1週間ぐらいいっそ休んで、哈爾浜にも行ってきたかったんですが、南京からだと国内便の乗り継ぎが悪くて10時間ぐらい空港で待たされるので、夜中に哈爾浜におっぽり出されるのは勘弁してほしいと思って今回は見送ったのでした。

えらく長い記事なんで、残りは続きに入れておきます。


思い立ってから、まず飛行機の予約をとります。H.I.Sは大昔「手厚い対応」みたいなことを謳っておきながら、わしが出発する日(確かスペイン)に担当が休みで手厚い対応もへったくれもなかったので飛行機のチケットを取るだけにします。

で中国の個人旅行を調べていたら、短期の旅行ではビザが要らなくなったことが判明、これはけっこう手間と金がかかるのでありがたいことです。
そんなこんなで検索していたら、南京と周辺の旅行会社をはけ〜ん。こいつはちょうどいいぜってんでお問い合わせのメールを送ります。
担当の人と10回ぐらいやりとりして、結局、ホテル3泊分、3日目の観光を手配してもらいまして、空港にも迎えに来てもらいましたが、わしの大本命、侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館(というのが正式名称)への案内はしてくれないと言います。わしも慣れない中国でホテルの手配とか移動を全部一人で考えて手配するのは気が進みませんので、その時は深く考えずにこの会社にホテルと3日目の観光をお願いすることにしましたが、その理由は後でわかることになるのでした。
そんな手配が終わったのが1月のことでした。旅行は3月27日〜30日です。わしはのんびりと待ちました。

そして迎えた3月27日、飛行機が13時発だったので成田での手間暇をあれこれと考えて、わしは2時間前に空港に着いているようにしようと思いました。で、うちから成田までは東海道線で東京まで出て、そこから成田直行のバスで約1時間とNavi-Timeで検索したら出たので、料金も安かったし(成田エクスプレスの半額)、それで行くことにしました。で、バスの発車時間から逆算して8時半くらいの電車で出発すれば良いと考えましたが、ちょっと早めにうちを出てしまったもので、予定より1時間も早いバスに乗って、10時には成田に着いてしまっていました。あらまぁ。
しかし、その時のわしは知らなかったのですが、成田ー南京のフライトがある中国東方航空というのは日本に来て、電化製品などを買い求める中国の人たちでいっぱいで、行きも帰りもほぼ満席と大盛況だったのです。当然、その日も例外ではなく、成田空港第2ターミナルの搭乗手続き窓口は4つくらいあったにもかかわらず長蛇の列。1時間余裕があったはずなので、結局、混雑に巻き込まれて並び、搭乗案内ぎりぎりになってしまったのでした。
なんでそんなに時間がかかるのかというと、帰国する人たちは大きなスーツケースにお土産を満載しており、1人ではなく、たいがいは家族とか一族郎党っぽい大人数で来ています。機内に持ち込めるスーツケースは荷物を預けるにしても30kg以内という制限があるのでスーツケースの中身を移し替えたりしており、手間がかかるようなのでした。

中国は大きな国ですが、時差は全国で1つしかないので日本とは常に1時間遅れます。13時発の南京行きのフライトは時差1時間を巻き戻して15時半に南京に着くのでした。

国際線なので機内食がつきますが、その前に腹ぺこを我慢できなくてオムライスを食べていたわしは、それでも機内食を平らげましたが、ヌードル頼んだら、機内食だからコンパクトなパッケージに収まってまして、すごい食べづらかったです。味はうまかったんですが。あと機内食の前に出されるドリンクサービス、行きは何も考えずに指したパッケージが甘ったるいお茶で辟易しましたが、帰りに珈琲をくれと言ったら、ないと言われて、ペプシかオレンジジュースか甘いお茶か、ミネラルウォーターだったので水をもらいました。う〜 機内で珈琲飲みたかったのに… ただ、その後、南京でありついた珈琲は不味かったので機内になくても問題はなさそうです。

南京に着いて、預けた荷物を待ち、なかなか出てこない傘に困っていたら「サイズオーバー」とかで別のところに置いてあったり、旅行会社の人と合流します。
ここで町中だとなかなか両替できないからと言われて、2万円を1000元に換金。レートは1元=20円でしたが、手数料も入るので少々高くつくようでした。成田で換金した方が安かったのか… 確か、いちばん安いレートが14元だったような… と思っても後の祭りなので諦めます。ヨーロッパだと町中にも換金ショップがあるし、たいがいのホテルで換金できるのでそれほど急がなかったんですが、ここは中国ですので事情が異なるのかもしれません。前に北京、西安、上海に行った時には完全なパッケージツアーだったので自由時間はほぼ自室のみで換金する機会も少なかったのでした。あと、10年以上前のことになっちゃってビザも要らなくなったんで、単純に比較できませんし。

ホテルは4星ですが、5星のホテルだとシングルがないと言われたので贅沢にツインです。
持っていったあいぽんの電池が切れそうになっていたのですが、中国でも買えるかとたかをくくっていた変圧器は買う機会がなく、でもホテルの案内に変圧器の貸し出しとありますので、へたくそな英語でルームサービスの人とすったもんだ、変圧器付きのコンセントを4日間借りることができました。ありがたや。
あと、室内だけですがWi-Fiが置いてあったのでネットもできまして、つなぐことができましたが、なぜかtwitterだけ駄目で、帰国してから「中国独自のtwitterがある」とか「政府に規制されてて見られないのかも」という情報を仕入れるわしなのでした。遅いだろ…
事前に「中国であいぽんを使うには」というサイトをちゃんと調べていったのですが、あいぽんはいつまで経っても圏外のままで、とうとうホテルでネットしかできなかったのでした。

変圧器のすったもんだで疲れたので、外に出かけて晩ご飯というのは諦めます。まぁ、一応、ホテルのレストランで食事を1回はすることがあるのです。
で下に下りて中華料理のレストランに入ったところ、あいぱっどのメニューを突き出されて、中身もよくわからずに写真だけでチャーシュー麺とおぼしきぶつを注文したところ、洗面器のようなどんぶりに入った青梗菜、チャーシュー、トマトの入ったラーメンが出てきまして、青梗菜とチャーシューはわかるけどトマトって何?!と思っていたけど、具は完食して、麺は食べられるだけ頑張りました。
3日目、ガイドの人と一緒に入った食堂で注文していたラーメンの具がチャーシュー、トマト、レタスだったので、南京ではラーメンにトマトというのはごく当たり前の光景のようです?
不味くはなかったんですが、なにしろ、たきがは家では出汁というものがとても大事な味覚ですので出汁のないラーメンというのは物足りなく、やっぱりラーメンというのは日本に定着した日本食なんだなぁと実感しました。あと、わしが気に入って週1で通っている清珍楼という中華料理屋さんも美味しいのは日本人向けのアレンジが効いているからなんだろうなぁと痛感しました。

お風呂は基本、洗い場のない湯船オンリーですので、お湯をくんであったまります。南京の気温は、わしの地元とほとんど変わらない感じだったので夜はやっぱり冷え込むのでした。あと、霧がすごくて大河・長江のほとりにあるせいなのか、雨が降ると見晴らしがとても悪いのです。
湯船は栓がしっかりしていないので、なんかごぽごぽとお湯が抜けているようで落ち着きませんでしたが、翌日に備えてお休みします。
2日目は侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館に行きます。

1日目が7時起き、3日目も「9時に迎えに来ます」とガイドの人に言われたので、そんなにのんびりできず、4日目にいたっては8時10分のフライトなもんでホテルを6時に出発しなければなりません。のんびりできるのは2日目だけなんで、朝食の時間に間に合うよう(7時〜10時)のんびりと起き出します。

朝食は中華料理のバイキングでしたが、ご飯がありません。主食はお粥2種(白いのと南瓜の)、パンです。しかし中国まで来てパンを食べてソーセージとベーコンというのも芸がありません(日本国内だと定番メニューなんですが)。かといって、たきがはは無類のお粥嫌いというかお粥が超苦手な人種なので中国のお粥は日本のお粥とは違うという話をどっかで聞いたはずなんですが、敢えて危ない橋を渡る気はありません。保温用に閉められた蓋を開けながら、さて、どうしたものかと思案していたら、焼きうどんがありました。中華の焼きうどんですが、けっこういけます。これを主食にすることにしまして、あとは適当に湯豆腐っぽいの食べたり、サラダ食べたり、目玉焼き食べたり…

朝は雨が降っていましたが、9時過ぎに出かける頃にはすっかり止んでいました。でも、この日は雨が降ると天気予報で言っていたと言われたもんで一応、傘を携えて出かけます。
ホテルのフロントで地図(前日、チェックイン時に購入済み)を見せて、行きたい場所を指したところ、わしは地理的には地下鉄で行けると思っていたのですが、あっさりと拒否られてタクシーを呼んでもらうことになりました。メモに行き先と料金15元を書いてもらいます。
ホテルの前でタクシーを呼び止めてくれましたが、これが延々と10分くらいかかりました。捕まらないのがどうも南京のタクシー事情のようです。

何とか止まってくれたタクシーに乗って出かけます。
運転手さんが「日本人(リーベンなんとかと言ったので『日本鬼子(リーベンクイズ)』を連想)か?」と聞いてきたので「そうだ」と答えるわし。
南京の日本人観光客はほとんどいませんで、少なくともわしは3日目の晩を食べた中華料理屋で日本に出張しているというおじさん2人に会うまではガイドさん以外の日本語は聞いてないです。
それでも中国人と見分けがつかない日本人ですから、そんなところに1人で行くのは珍しいんでしょう。中国の人はどうも、どこに行くにも最低カップルか家族づれ、と1人で行動というのはほとんど見なかったように思います。まぁ、わしも中国語がわかっているわけではありませんが、端から見ていると団体行動が圧倒的に多そうな感じでした。

目指す侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館は大きな道路(片側4車線くらい)沿いにあって、地下道で反対側に渡れますが、タクシーはわざわざUターンして入口につけてくれました。
ガイドの人はしきりに「南京で大虐殺があったとは思えないほど、南京の人たちの日本人に対する態度は友好的」だと言っていましたが(だから、という結論に至るわけですが)、わしは逆に原爆を落とされた広島、長崎がアメリカ人に厳しいというか反米的かというとそうとは聞いたことがありませんし、米軍によっていろいろな被害を被っている沖縄でさえ、そう露骨な反米感情むき出しという話は聞いたことがないように思うので、その結論は短絡的に過ぎるなぁと思ったもんですが、まぁ、それは明日の話なんで、ここには書きません。

ともかく、わしは侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館にやってきました。行く前は家族に「日本人だってばれたら袋だたきに遭うんじゃないか」とさんざん言われましたが、去年、鳩山さんが行っていたのを知っているので、そんなはずはないと笑い飛ばしていました。ただ、熱心とは言わないまでも最初から最後までとても大勢で(集団行動が多いので)見学していて、次から次へとやってくる人たちのなかで一人で日本人が見学しているということはちょっとだけ緊張もしましたが、そのうちに忘れました。てへぺろ

タクシーが止まってくれたのは入口だったんですが、左右を見渡すと大きな建物の手前にずらっと彫刻が並んでいて、それが右の方から続いているのがわかります。それで、わしは左の方がどうやら入口だとわかりましたが(入館料は無料)右の方に行ってみて、彫刻を眺めることにしました。後で帰る時に、こっちに地下鉄の駅があるとわかったのは大きな収穫でした。

↓ そちらにあった案内図。左下のはメトロのマーク。


↓ 途中にあった看板。


彫刻群の数々は、中国語と英語の表記で説明がされていましたが、南京大虐殺を題材にした現代彫刻のようでした。
その間にも中国の人たちがぞろぞろとやってきて熱心に写真を撮っていました。この後、資料館で「撮影禁止」の看板がありましたが、皆さん、おかまいなしに写真を撮りまくっていたので、たぶん帰ったら、南京に行けなかった知り合いに見せてまわるんだろうなぁと思いました。そう考えるとむやみに撮影禁止を謳うのもどうかなぁと思ったりもしましたが、絵画の場合なんかは保護の観点もあるだろうから、難しいところですね。でも資料館ならいいんじゃないかと思ったり。

↓ あった彫刻(翻訳は翻訳サイトの手も借りて、わしが意訳してます)

Family Ruined(滅ぼされる家族)
Never returns the son killed(殺された息子は戻らない)
Never returns the husband buried alive(生き埋めにされた夫は戻らない)
Miseries drowns the wife raped(強姦される妻は惨めさにまみれる)
Good Heavens!(ああ!)


Decemver 13, 1937(1937年12月13日)
Began the human massacre!(大虐殺が始まった日!)
Unarmed and difenceless civilians,(無防備な市民よ)
Flee,(逃げろ)
The only hope to survive!(それだけが生き残る望みだ!)


How wretched she was! My dear poor wife!(なんて可愛そうなんだ、わたしの愛しい妻は!)
The devil raped you, stabbed you ...(悪魔はあなたをレイプし、突き殺した…)
We were together even though we died(死んだけれども、わたしたちは一緒になった)
--- the helpless struggle of a dying intellectual(瀕死の知識人の助けのない闘い)


The devil's aircraft bombed again(悪魔の飛行機が再度爆撃した…)
The poor orphans,(可愛そうな孤児たち)
Frightened by the vicious laugh of the brutal devils,(残忍な悪魔たちの哄笑に怯え)
Terrified by the corpses piling up in the alley,(路地に積もった死体に怯え)
Have lapsed into numbness ...(麻痺に陥っている)


Run!(逃げろ!)
The devils are coming ...(悪魔たちがやってくる…)


A thirteen-year-old carrying his(13歳の少年は爆弾で死んだ祖母を担いでいる)
grandmother who has died in a bomb,

Flee-flee-flee(逃げろ。逃げろ。逃げろ)


My dear mother in the eighties,(80歳になったわたしの愛しいお母さん)
Hurry up! Run away from the devil's blood-bath!(急いで! 悪魔の大虐殺から逃げてください!)


Never will a sanctified soul bear the humiliation of the devils!(←これだけ訳せない…)
Only to die!(ただ死だけが!)
Only to die!(ただ死だけが!)
Only death can wipe off the stain!(ただ死だけが、その穢れを浄めることができる!)


Frigidity and horror have frozen this crying baby!(冷えと恐怖が泣き叫ぶ赤ん坊を凍えさせた)
Poor thing(可愛そうに)
Not knowing mum has been killed(母親が殺されたことも知らないで)
Blood, milk and tears(血とお乳と涙が)
Have frozen, never melting(凍ってしまい、溶けそうにない)


They rob and rape,(彼らは奪い、犯す)
They set fire and bury people alive ...(彼らは放火し、人びとを生き埋めにする…)
They even kill my three-month-old little grandson.(彼らは、わたしの3ヶ月の孫さえも殺したのだ)


Ah,(ああ)
Close your eyes,(おまえの目を閉じてやろう)
Rest in peace,(安らかに眠れ)
You innocent soul!(おまえの穢れ無き魂よ!)
You poor boy!(可愛そうな子どもよ!)
--- A Buddhist monk fleeing in fight(戦闘から逃げる僧)

結局、建物の入口はそこにはなかったので、わしも写真を撮りながら戻ります。重苦しい音楽が流れていて、如何にもな演出をしていましたが、今時の映画を連想して、こういうのは蛇足じゃないかなぁと思いました(たきがはは悲しい場面で悲しい音楽が流れるような稚拙な演出が大嫌いです)。

わしが持って行った古いガイドブックだとここは7元(昨日のレートで140円)の入場料を取っていたのですが、いつの間にか無料になっていたようです。そのせいもあって入場者が多いんでしょうが、わしは思いました。もしも広島の平和記念資料館や長崎の原爆資料館が無料だったら、こんなに盛況なのかなぁと。
わしは基本、この手の博物館関係は時間が許す限り、じっくりと見てまわりたい人種なもんで、博物館を見るのはとかく時間がかかります。事実、この侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館でも最初に入った資料館(入口から見える横長の建物)に5時間ぐらいいまして、それでも全部見きれなかった(上の方にあって読めない資料とか、最後の動画なんかが見られず。それ以外の資料はたぶん8割は制覇)んですが、そのわしの後に次から次へ人がやってきて、それがたいがいは団体で、とうとう最後には高校生くらいの集団(しかも翌日、中山廟でまで一緒した)までやってきて、そのたびに追い越されていったのに一人になったことがなかったので、大盛況と言っていいくらいの来館者数だったと思うのです。
わしが行った日は金曜日だったので中国でも平日でしたし、それでも客が多いのは、閑散とした来館者しか知らない平和記念資料館や原爆資料館とは比べものにならないなと。確かに中国の方が人口は10倍以上いますが、それだけでは理由のつかない自分たちの国の歴史を知ろうとする熱意みたいなものが日本にはないのかなぁと思いました。

入口から入って、案内板を眺めます。全体像を把握したいのと、次にどこに行こうか検討したいので、わしはこういう案内板を見るのが好きです。
どうやら入口と出口は違うらしく、一筆書きのようにルートがいくつか提示されています。わしは資料が見たいのでそこで180度曲がって資料館へ向かいます。たいがいの人もそっちへ行きます。なかなか大がかりな施設です。

↓ 入口に入ったところにあったオブジェクト

後ろにあるのは建物ではなく壁だと思います。

↓ その右にあるオブジェクト


間を通って先へ進みます。
皆さん、敷かれたブロックをたどっていきます。そうではないところには 玉石が敷き詰められていますが、とかくマイルールが言われがちの中国人には珍しいというか、それが単に日本で喧伝されているだけの悪意ある中傷なのかわか りませんが、玉石の方にはみ出す人はほとんどおらず、粛々とブロックの上だけ歩いています。犠牲者に対して敬意を払っているのだろうなとわしは思いました。

あと、中国はそこここに、およそ数百mごとにゴミ箱がありまして、リサイクル用と燃やす用と必ずセットでありましたが、資料館の中にもありました。どのゴミ箱もゴミであふれているというのは見当たらなかったので、回収はまめに行われているものと思われます。
また資料館の中には、けっこう椅子があり、休みながら見るのにもいい感じでしたが、閉館時間が16時半とあったので、10時過ぎくらいに着いたわしは、とりあえず次々に資料を読んでいきました。
本当は入口で音声案内を借りたかったのですが(日本語があるそうなんで)、係の奴らが5、6人くらいいるくせにカウンターに陣取ったわしに無関心だったので、結局、辞めました(中国の人と間違われたのかも)。特に不自由はしませんでしたが、前述のようにいくつか高いところにあって読めない資料もあったので、借りられるなら借りた方が良かったなぁと思いました。ただ、値段はそこそこ高かったので中国の人たちは借りている様子はありませんでした。大きな荷物もここで預けることもできました。

↓ 最初にある看板

ここから先は一応、撮影禁止です。

資料は、さすがに詳細なもので、南京大虐殺に限らず、日本が南京に至るまで行った破壊についてから始まり、別に南京だけが特別なのではないということがわかりやすく解説されていました。そうです。本多勝一氏の「南京への道」というルポで書かれていましたが、上海から上陸した日本軍は上海を落とすと、3方向に分かれて当時、国民政府が首都を置いていた南京を目指して進軍しました。上海から南京へは300kmほど離れています。その間にある蘇州や無錫といった町が無事だったはずはなく、日本軍の三光作戦のもと、無惨に破壊し尽くされ、略奪し尽くされ、女性たちは老いも若きも犯され殺されてきたのです。南京大虐殺は、あくまでその延長にありました。決して南京だけが特別なわけではなかったのです。だからこそ、わしは南京大虐殺を否定する説は受け入れられません。ましてや、わしは、この手の戦争犯罪は何度も書いていますが、

加害者=忘れる
被害者=覚えている

というのが絶対的な法則だと思ってます。わしは被害者である中国の主張を全面的に支持します。それと同じ次元において、広島と長崎への原爆投下、東京への大空襲を初めとする日本国民の無差別な殺害を戦争だから仕方がなかったというロジックにおいて受け入れることは決してできません。

多少の知識はあるものの、わしは詳しくないので資料を1つ1つ読みました(中国語、英語、日本語の併記)。周りから聞こえるのがわからない言葉(中国語と断じられるほど中国語に明るいわけでもないので。たぶん中国語なんでしょうが)ばかりで、その中でただ一人の日本人であるという事実にちょっとばかし緊張もしましたが、じきにそんなことは忘れました。なぜなら、中国において、南京大虐殺というのは歴史的な事実であり、議論の余地はないのだという確固たる信念がそれらの展示からはうかがえたからです。
わしは大学の時は史学科に進みましたが、そのきっかけは高校生の時の世界史の勉強をしていた時でした。1つ1つの史実というのが無関係に起きるのではなく、それぞれに絡み合って動くという事実がとてもおもしろかったのを覚えています。
ここにある展示は、それと同じ感じでした。おもしろいというのはあまりにおこがましく、おぞましい事実なのですが、それでも南京大虐殺がいきなり南京の地で起こったのではない。それは上海から上陸した日本軍の行動に示唆されているのであり、それもまた、遡れば天皇制というこの国が抱えている病巣にたどり着くのであり、そう考えてくると幕末というものがいかに世界の市民革命からほど遠いものであるのかがわかるのであり、そういった諸々の史実の積み重ねが南京大虐殺として爆発した、というのが結実していくというのはおもしろい展示でした。
おかげで、わしは次々と観覧者に追い越されていきまして、結局、その資料館で5時間も過ごすことになったのでした。

途中、南京大虐殺に関連する動画を集めたコーナーがありましたが、その時点で足はへとへとにくたびれており、何しろ持って行ったペットボトルの水しか飲んでいないもので腹ぺこにもなっており、ちょうどコンピュータによる資料コーナーになっていたので休憩しました。動画も長いものは2時間超、短いものは10分足らずとなにしろ9つもモニタがあって、盛りだくさん、見ようと思ったら、そこに1日いても足りないだろうというぐらい充実してそうな内容だったのですが、わしは未練たらたらな思いでコンピュータによる資料検索も離れました。1つには、それらの動画は今までわしが見せてもらってきた資料の範囲を超えることはないだろうと思ったからです。1つ1つの被害者個々人のエピソードをふくらましたり削ったりしておもしろおかしく仕上げているだろうけど、改めて見直すほどのものではないよなと思ったので、まぁ、いいかなぁと考えたのでした。

これで終わりかと思ったらさにあらず。今度は長い日中戦争史の展示です。
日本国内でこれだけ詳細にあの十五年戦争について展示とか解説している資料館というのをわしは勉強不足のせいかもしれませんが聞いたことがありません。平和記念資料館は原爆のこと、沖縄の平和祈念資料館は沖縄戦のことが中心で、それ以外の展示は少なめだったように思います。中国の「史記」や「三国志」といった史書を記し、科挙のような文官の試験などをなしてきた本来の知性的な国の側面を見た思いがします。

というわけで、これ以上ない充実した時間を過ごしまして出てきた時は15時過ぎ。わしは資料館で延々と5時間も見学していたのでした。1つには丁寧な人物の解説、日本軍もいますし国民党軍や八路軍の兵士、被害者などが経歴とか、この南京大虐殺とそこに至るまでの日本軍の侵略でどのような役割を負ったかなどが書かれていたので、それらを全部読まないと気が済まないわしはどうしても時間がかかるのでした。でも中にはとても高いところに掲げてある資料もあって、近眼のわしにはとても見えません。あと、なぜか館内が異常に暗いところがあって(演出過剰気味な感じがしましたが)、それも読めない原因なところもありましたが、頑張って読んだので(たきがはは基本、活字中毒)8割以上は読めたんじゃないかと思います。
資料もただ読ませるばかりでなく、日本軍が使ったという武器や軍服、水筒といった小物も少なくなく、中国の人たちは「写真撮影禁止」の看板が最初にあったにもかかわらず、熱心に写真を撮っていました。

外に出ると大勢の人が休憩していました。中には外国人とわかる人も何人かいましたが、圧倒的に多いのは中国の人たちのようでした。
わしも休みたいのは山々でしたが、まだ先があるのでもう少し頑張ることにしました。

その先の別の資料館でホロコーストの展示をやっているようでしたが、一応、アウシュビッツ・ビルケナウまで行ったわしです。見ていたら何時に帰れるかわからないし、今回の目的は南京大虐殺なんで、一応、展示の期間も終わっていたので諦めました。中にはまだ入れそうに見えたのが中国らしいおおらかさなのかもしれません。

さらに歩いていくと、南京大虐殺で日本軍は証拠隠滅のために死体を焼却し、灰を長江に流すこともしましたが、何十万の大虐殺には片付けきれるはずもなく、南京で大勢のボランティアの人たちが遺体の埋葬をしました。その現場が南京のあちこちにあって石碑が建っており、そのレプリカの碑が建つ中庭にやってきました。

↓ その入口にあった石碑


↓ 上から見た全体図

玉石の敷地にいるのはスタッフで掃除をしているっぽいです。

↓ 碑のレプリカ


↓ 日本語の部分を拡大したところ


これも中国語、英語、日本語の併記がなされており、ありがたいことだなぁとわしは思いました。英語の文章も頑張れば半分くらい理解できなくはありませんが(それでポーランドとスペインはやり過ごした)、やっぱり日本語に勝る理解力はありませんのでどうしてもどこかで齟齬が生じると思います。きっと、ここに日本語を併記することに当時の中国国内、あるいは南京市内でいろいろな論争があったのではないかと思います。加害者としてその責任を果たそうともせず、訪れようともしない日本人のために、敢えてスペースを割いてまで日本語を併記する価値があるかどうか、中国の人たちが葛藤しなかったわけはないと思うのです。でも、きっと、ここに併記することにした人たちは、いつか日本人がここに来て、これを読むことを期待していたんじゃないか、日本人が申し訳ありませんでしたと謝罪する日を心待ちにしていたんじゃないかと思いました。
そう考えると、3日目のスケジュールを単なる観光で埋めちゃったことが悔やまれます。ただ、2日間みっちり南京大虐殺というのも重いかなぁと思ったのも事実なので、1つ1つの碑を見学して、万人坑に向かいました。

万人坑というのはその名のとおり、大勢の遺体が見つかった穴です。別にこのような死体の山を築き上げる行為というのは南京だけでなく日本軍は1932年の平頂山事件などを初め、各地で行っています。
犠牲者の骨を見せ物にするという行為については賛否両論もある気がしますが、わしは加害者の側の人間として、目をおっぴらいて見てくるべきだと思いましたので目を背けることはしませんでした。その時まで、頭の中をぐるぐると駆け巡っていたのは、人間が同じ人間に対して何でこんな残酷なことができるんだろうという疑問でしたが、その当時の日本という国はヒロヒトのもと、自分たちの国を神国と疑わぬ、今の常識で見ても、当時の認識で言っても気違いの国でした。自分たちは現人神のもと、誰よりも優れた人種であるという考え方が当時のナチス・ドイツとどう違うのか、わしにはわかりません。むしろ同類であるとしか思えません。ナチス・ドイツを批判するその手で、日本人はこの時代の罪をも裁かなければならないと思います。天皇の名のもとにアジアで大勢の人びとを殺したという事実を認め、謝罪し、悔い改めなければ、いつまでも本当に信頼される国にはならないと思います。わしは殺されて、そうして骨をさらし者にされている人たちを見ながら、それが全て済んだ時、この人たちは初めて埋葬し直され、安らかに眠ることができるのではないかと思いました。

万人坑を出ると炎が灯されていました。わしはそこで初めて手を合わせました。

そこまで行くと出口はじきでしたが、わしが期待していたような喫茶店とかお土産物屋はなくて、ただ南京大虐殺という厳然たる事実だけがありました。

出口に向かう庭には紫金草がたくさん植えられて、おりしも満開でした。
そして、鳩山さんが訪れた時の記念植樹もありましたが、その時点でへとへとになっていたわしは写真を撮るのを忘れてしまいました。

天気は良く、ぽかぽかです。持って行った傘は重く、邪魔になります。でもホテルの傘なんでうっかりなくすこともできません。

わしは昨日買った地図を眺めて、さて、これからどう帰ろうか思案しました。いちばん手っ取り早いのはタクシーですが、捉まえるのが大変というのは朝のホテルで目撃してますし、自分の語学力でホテルまで無事に帰れる自信もありません。かといって歩くのは遠い距離です。その時、わしは来た時に見かけた地下鉄の案内を思い出しました。ホテルから最寄りの地下鉄の駅まで700mくらい歩きそうですが、この侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館の近く、出口からは反対側ですが入口の方に駅があるはずです。わしは歩き始めました。

南京の道路は真ん中に車道、いちばん外側が歩道というのは日本と同じ構造ですが、間に自転車&バイク専用道があって、歩行者も歩いていくけど、車はあんまり進入しない(駐車はしている)道路があるので、かなり幅があります。しかも日本のバイクも最近はかなりフリーダムな気がしますが、南京のバイクもそれに負けず劣らずのフリーダムさで歩道も走るし専用道もぶっ飛ばしいくし、もちろん車道も我が物顔で走っていきます。
のこのこと、わしが歩いて安全な道路とも思えませんので、狭い歩道をとぼとぼと歩いていきます。

歩くこと20分くらいで、ようやく地下鉄の駅に到着。路線はあまり複雑ではありませんが、目指す三山街駅で降りるには途中で乗り換えないとなりません。
チケットは3元、自動販売機で買うと切符の代わりにトークンが出てきました。日本のメトロほど複雑ではないのでできる技なんでしょうが、無駄な紙を使わなくていいなと思いました(たきがはは未だにsuicaとかPASMOを買わないへそ曲がりなので、家族で出かけると一人で切符で迷惑がられますが、便利さを求めて魂をJRに売り渡す気はさらさらないです)。
この地下鉄は2014年に南京で第2回目のユース・オリンピックが開かれるというので南京の飛行場まで延長される予定だそうですが、突貫工事が心配です。

↓ メトロの券売機。

たきがはの大好物、ご当地ものです。

↓ トークン。

例によって、ぼっけぼけ

↓ 路線図。

「雲錦路(表記は云錦路)」が乗った駅。乗り換えたい駅は「新街口」で1号線に乗ります。一応、ローマ字で読み方がわかるので下りる駅の発音は想像できますが、わしはピンインに詳しくないので、駅数を数えて、看板にも注意して下ります。

↓ ホームから見た線路の様子。

日本の地下鉄でも一部なされていますが、完全にカバーされています。安全でいいですね。

地下鉄を乗り換えて目的の駅で降り、ホテルを目指します。大ざっぱすぎて(南京市がそもそも栃木県ぐらいの広さがある)わかりづらいところもありますが、わしの目的にはかなっているのでおっけーです。

地下鉄で座れたんでちょっと回復し、歩いていくとホテルは15分くらいで着きました。
昨日のうちにホテルの向かいにケーキ屋があることはわかっています。中で食べられればいいなぁと思ってのぞきに行くと、ケーキは昨日のチャーシュー麺よりも高く、小売り専門でした。
しょうがないのでホテルの2階にある喫茶店に入ります。何しろお昼も食べていないので腹ぺこですが、メニューを見たら、洋食は全般高いです。結局、珈琲だけ飲んで帰りました。

ホテルの部屋でしかあいぽんが繋がらないので、あいぽんを起動するわし。
そのせいもあって、晩ご飯を食べに行く機会を逸してしまいました。昨日のレストランに行くのも気が進みません。めんどくさくなったんで、部屋に置いてあったスナックでごまかしてしまうわし。わしは、面倒になるとご飯で手を抜くという困ったチャンなので、意識して、ご飯はちゃんと食べないとまずいのです。

そのうちに疲れてきたんでシャワーを浴びて寝ます。こうして南京2日目の夜は更けていくのでした。

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